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強烈な「パ・リーグ戦士」との激闘の記憶 木樽×村田が74年の日本一を振り返る

石川哲也
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レジェンド投手として対談した2人は、新旧のエース。苦楽をともにした過去を楽しそうに振り返った 【撮影:少路昌平】

 オリオンズ2度目の日本一となる1974年の投手陣の柱、木樽正明氏と村田兆治氏によるレジェンド対談。厳しくも、思いやりのある金田正一監督のエピソードで盛り上がった前編に続き、後編は、パ・リーグのライバルたちと繰り広げた戦いや、中日との激闘を制した日本シリーズを振り返る。

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野村、張本、福本……対戦相手は個性派ぞろい

――日本一になった1974年は前年からの本拠地不在の戦いでの優勝でしたが、その辺りはいかがだったのでしょうか。

村田 それで、「なにくそ」と火がついたのはあったね。

木樽 仙台が準フランチャイズだったんだけど、まだ東北新幹線がなかったため、大阪から飛行機での移動でした。とても不便だし、大変でしたね。

――なかなかご自宅に帰れず、家族の顔が見られなかったようですね。

村田 練習だけではなく移動もハードだったので、今振り返ってみても厳しい環境だったね。

――2シーズン制の当時のパ・リーグで前期は2位、後期は優勝。プレーオフは3連勝しましたが、決して楽な戦いではありませんでしたよね。

木樽 各チームには、一筋縄ではいかない選手がいたからね。張本(勲)さんとか、野村(克也)さんとか、挑戦しがいのある先輩たちがいっぱいいた。打たれましたし、抑えたこともあるけども、本当にいい思い出になっていますね。そういう先輩方がいたことで、私なんかは成長させてもらったなと思います。

村田 張本さんは、逆らわず、どの方向にも打ち返す選手でした。そういう人もいれば、門田(博光)みたいにブンブン振ってくる選手もいた。あとは、福本(豊)さんね。あの人は、あまりに足が速いので、クイックモーションができたくらいです。また、阪急には加藤秀司みたいにファウルばっかり打つやつもいたな。「おい、前に打てよ、球数が多くなるじゃないか」と怒ってね(笑)。
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