ロッテレジェンド対談 木樽正明×村田兆治 2人の投手が語る金田監督の「人情野球」
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あの400勝の「大スター」が来た
金田正一監督が就任2年目で、日本一へと導く。球団にとっては、初代王者に輝いた1950年以来、24年ぶり2度目の戴冠だった 【写真提供:千葉ロッテマリーンズ】
木樽(※敬称略。以下、同) 私と村田君は、年齢は2つ離れているんです。彼が入団した年の指宿でのキャンプで私は、プロ3年目だったんだけども、投手コーチの植村(義信)さんに、新人が入ってきたんで「面倒を見てやれ」と言われてね。
私は、ちょうど腰を痛めていたもんで、体幹を鍛えるために腹筋、背筋をずいぶんとやっていたんだけども、村田君にも同じメニューをやらせたな。
村田 腹筋、背筋と言っても普通のやり方ではない。土手みたいに急な勾配でやるんです。私は高校を出たばかりの新人で、そんなプロのメニューにはついていけなかった。この人、ヘルニアと言っているけど、こんなに厳しいトレーニングができるならば、ウソじゃないかと思っていましたね。
でも、私の中で木樽さんは頼れる先輩です。私は広島生まれで、オリオンズというチームのことは、全く分からないまま飛び込みましたからね。入団した時に名前を知っていたのは、成田(文男)さん、木樽さんとほんの数人です。とくに木樽さんは、甲子園の準優勝投手で知っていたからね。そういう人が、そばにいてくれたというのは、ものすごく力になりましたよ。
木樽 あの頃は、成田さんがいて、私がいて、村田君が入ってきて、日本一になった年は金田留広も東映から来て「四本柱」と言われたんだけれども、みんな年齢が近かったからライバルとして良い競争があった。
村田 そういう環境で競い合ったことが、日本一につながったというところはあるよね。プロは互いがライバルであって、チームの中で競争がないと成長しないものです。
――日本一になった1974年は、前年に金田正一さんが監督に就任して、それまでと雰囲気がガラッと変わって、明るく、楽しく、強いチームになったという印象がありました。金田さんは、どんな監督、そしてお人柄だったんでしょうか。
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