ロッテ70周年記念特別企画

ロッテレジェンド対談 木樽正明×村田兆治 2人の投手が語る金田監督の「人情野球」

石川哲也
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 千葉ロッテマリーンズは、今年で球団設立70周年を迎えた。これを記念して8月22日のロッテ対ソフトバンクの試合開始前に「70周年チャンピオンシリーズ」を実施。1974年の日本一メンバーの有藤通世氏、山崎裕之氏、木樽正明氏、村田兆治氏の4氏が参加し、大いに球場を盛り上げた。このイベントに合わせて、投手編、野手編に分かれたレジェンド対談をお送りする。木樽氏と村田氏による「投手対談」の前編では、金田正一監督(当時)の練習法や思い出について、存分に語ってもらった。

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あの400勝の「大スター」が来た

金田正一監督が就任2年目で、日本一へと導く。球団にとっては、初代王者に輝いた1950年以来、24年ぶり2度目の戴冠だった 【写真提供:千葉ロッテマリーンズ】

――お二人は、ロッテオリオンズが日本一になった1974年に主力投手としてご活躍されました。当時は、お互いにどのような印象を持たれていたんでしょうか。

木樽(※敬称略。以下、同) 私と村田君は、年齢は2つ離れているんです。彼が入団した年の指宿でのキャンプで私は、プロ3年目だったんだけども、投手コーチの植村(義信)さんに、新人が入ってきたんで「面倒を見てやれ」と言われてね。

 私は、ちょうど腰を痛めていたもんで、体幹を鍛えるために腹筋、背筋をずいぶんとやっていたんだけども、村田君にも同じメニューをやらせたな。

村田 腹筋、背筋と言っても普通のやり方ではない。土手みたいに急な勾配でやるんです。私は高校を出たばかりの新人で、そんなプロのメニューにはついていけなかった。この人、ヘルニアと言っているけど、こんなに厳しいトレーニングができるならば、ウソじゃないかと思っていましたね。

 でも、私の中で木樽さんは頼れる先輩です。私は広島生まれで、オリオンズというチームのことは、全く分からないまま飛び込みましたからね。入団した時に名前を知っていたのは、成田(文男)さん、木樽さんとほんの数人です。とくに木樽さんは、甲子園の準優勝投手で知っていたからね。そういう人が、そばにいてくれたというのは、ものすごく力になりましたよ。

木樽 あの頃は、成田さんがいて、私がいて、村田君が入ってきて、日本一になった年は金田留広も東映から来て「四本柱」と言われたんだけれども、みんな年齢が近かったからライバルとして良い競争があった。

村田 そういう環境で競い合ったことが、日本一につながったというところはあるよね。プロは互いがライバルであって、チームの中で競争がないと成長しないものです。

――日本一になった1974年は、前年に金田正一さんが監督に就任して、それまでと雰囲気がガラッと変わって、明るく、楽しく、強いチームになったという印象がありました。金田さんは、どんな監督、そしてお人柄だったんでしょうか。
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