連載:あのJリーガーはいま

山田暢久が振り返る浦和、日本代表のこと 右サイドでの代表招集は「マジ!?」

栗原正夫
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浦和レッズ一筋20年。山田暢久はJ1で501試合出場という偉大な記録を残した正真正銘のレジェンドだ 【(C)J.LEAGUE】

「いま思えば、経験という意味でもほかでやっておけば良かったかなという思いもあります。近郊のクラブから声が掛かっていたら、どうでしたかね。ちょうど岡野さん(雅行)もガイナーレ鳥取で引退してGMになったタイミングだったので声は掛けてもらいました。ただ、鳥取はJ3(当時)だったので(笑)。まあ家族の問題もありましたけど、ひとつのクラブに20年いたことで選択が難しくなった部分もありましたね」

 現役時代は1994年の加入以降、2013年の引退まで浦和レッズ一筋20年。J1で501試合、J2やカップ戦も含めれば公式戦700試合以上に出場してきた山田暢久は、引退当時のことをそう振り返る。38歳でケガもなく、余力も十分だっただけに最後は浦和で辞めるか、それともほかのクラブを探すか、かなり悩んだという。

J1で500試合以上出場はわずか8人

 現在、山田は神奈川県社会人1部リーグのイトゥアーノFC横浜で指揮を執っている。過去にJ1で500試合以上出場した選手は山田のほか7人しかいないが、「501」という数字をどう捉えているのか。

「もっと伸ばせたかなと思います。試合に出る、出ないは監督の好みもあるし、シーズンによっては半分くらいしか出られないときもありましたから。最後の数年は出番も減っていたし、(引退時も)自分的にはまだまだ体は動くと思っていたので」

 淡々とそう話すのがいかにも山田らしいが、過去にJ1で500試合出場した選手の名前を見れば、あらためてその記録がいかに偉大かが分かる。遠藤保仁(G大阪など)、楢崎正剛(元名古屋など)、中澤佑二(元横浜FMなど)、阿部勇樹(浦和など)、曽ヶ端準(鹿島)、小笠原満男(元鹿島)、伊東輝悦(元清水など)。並ぶのは、いずれも言わずと知れたレジェンドばかりである。

 04年から08年にかけては浦和で主将を務め、リーグ、天皇杯、ACL(AFC チャンピオンズリーグ)など数多くのタイトル獲得に貢献した。ぶっきらぼうで面倒くさがりな性格は時にマイナスに捉えられることもあったが、派手さがなく、目立つことを好まないキャラクターは多くのサポーターやファンから愛されてきた。

 黄金期に優勝トロフィーを掲げている姿も印象深いが、山田が加入した当時の浦和は、Jリーグ初年度を最下位で終えるなど低迷を極めていた。いつかのインタビューでは浦和入りを決めた理由について「すぐに試合に出られそうだったから」と冗談めかしていたこともあった。
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著者プロフィール

1974年生まれ。大学卒業後、映像、ITメディアでスポーツにかかわり、フリーランスに。サッカーほか、国内外問わずスポーツ関連のインタビューやレポート記事を週刊誌、スポーツ誌、WEBなどに寄稿。サッカーW杯は98年から、欧州選手権は2000年から、夏季五輪は04年から、すべて現地観戦、取材。これまでに約60カ国を取材で訪問している

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