柿谷曜一朗は高杉亮太をどう抜いたのか? 2018年に生まれた美しいゴールを振り返る
エリートと苦労人の対照的なキャリア
美しいゴールを決めた柿谷だが、この年途中交代やベンチスタートも多く、「充実していなかった」と不本意なシーズンを振り返った 【画像提供:セレッソ大阪】
プロとして13年間のキャリアのうち、18年を除く12年間はJ2で過ごしてきた。そのスタートは明治大学を卒業した06年。当時関東サッカーリーグ2部だった町田ゼルビアのトライアルに合格して、そこからJリーガーを目指した。06年というのは、柿谷がわずか16歳でC大阪とプロ契約を結んだ年だ。クラブ史上最年少のプロ選手となった高校生は大きな注目を集め、11月には早くも大宮アルディージャ戦でJ1デビューを飾っている。一方の高杉は翌07年にJ2の愛媛FCに移籍して、6歳下の柿谷より1年遅く、プロの道を歩み始めた。
エリートと苦労人。一見すると真逆のキャリアにも見える二人は、意外なことに何度となく対戦した経験を持っている。初対戦は高杉が愛媛に加入した07年の4月、J2リーグ第8節。C大阪がJ2に降格したため、愛媛との対戦が実現した。この試合を皮切りに、両者はC大阪と愛媛の一員として、あるいは徳島ヴォルティスと愛媛の“四国ダービー”の舞台で、同じピッチに立っている(柿谷は09年から11年まで、徳島に期限付き移籍)。
「高杉さんがいれば周りがついてくるという、どっしりした選手というイメージですね。特に長崎時代はそうです。ヴァンフォーレ甲府の山本英臣さんみたいな」と柿谷が言えば、高杉は柿谷をこう評する。「若い時から知っていますけど、この数年は周りを使いながら自分の良さを出すプレーにすごさを感じる」これまで一度も言葉を交わしたことはないという二人は、お互いに相手に対する明確なイメージを持っていた。
当たっていたはずの“読み”
「徳永さんがボールを持ち出したところで奪えたから、そのときにはもう1対1になる展開がイメージできました。まだ前半だったから、自分で仕掛けよう、シュートを打ちに行こうという考えだったと思います。トシ(高木)からボールをもらって、そこから外ではなくてゴールに向かって斜めにドリブルしていますよね。この角度を見ても、完全にゴールを決めに行く姿勢になっていたと思います」
この場面を守備側はどう考えていたのか。「ボールの取られ方が悪かったんです。数的不利だったので、まずは相手を遅らせつつ、かと言ってあまり下がりすぎないように意識していました」と高杉は解説した。柿谷がドリブルを始めた時点で、中央寄りにFWヤン・ドンヒョン、やや遅れて右サイドからMF福満隆貴と、C大阪は3人が攻撃参加している。一方、ゴール前に残っている長崎DFは高杉と田上大地の2人のみ。3対2の不利な状況だった。
このとき、高杉は柿谷とヤン・ドンヒョンの二人を視界に入れながらも、ヤン・ドンヒョンのことはそれほど気にしていなかったという。つまり、柿谷が自分で来ると予想していた。「一応、どちらにも足を出せる姿勢を取りながら、ファーサイドのコースはしっかり消しておこうと。相手が縦に来たところで勝負したかったんです」
ファーサイドの方向をブロックして、相手に縦のコースを選ばせる。そこにうまく体を寄せられれば、攻撃側は外に逃げるか、角度のないニアサイドにシュートを打つしか選択肢がなくなる。何とかシュートを打ったとしても、ニアポストはGKが完全に埋めている――。これは守備の定石の一つだ。高杉の動きに合わせてGK徳重がニア側にポジションを寄せているところを見ても、この時点では自然な判断のはずだった。
しかし、ここで疑問が生じる。柿谷はまさに守備側が想定していたとおり、縦のコースを選んでいるのだ。「縦に来たところで勝負したい」と考えていた高杉にとっては、狙いどおりの状況だった……にもかかわらず、高杉はなぜ体を寄せにいけなかったのだろうか。当たったはずの読みは、一体どこで狂ったのだろう?
(企画構成:サッカーキング)
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