岡田武史が説く日本と海外の違い 日本代表でも光景は何十年も変わってない
第1回
日本が世界で勝つための「プレーモデル」を作り、16歳までの段階で選手たちに落とし込み、その後は自由にプレーできるようなチームを作りたい――。
岡田武史氏が2014年にFC今治のオーナーになった理由である。その目標を達成したとき、選手たちは主体的にプレーできるようになり、チームも自律するのではないか、と岡田氏は考えたのだ。
それから4年――。長い試行錯誤を経て、プレーモデル、ゲーム分析、トレーニング計画、コーチング方法を言語化、体系化した「岡田メソッド」がついに完成。昨年12月には一冊の本にまとめた約300ページに及ぶ『岡田メソッド』が上梓された。
「岡田メソッド」の全貌と、そこに込められた岡田氏の思いに迫る。
日本人に足りないものは主体的な判断
「岡田メソッド」にはどんな思いが込められているのか? サッカー観、国民性、日本サッカーの可能性など、余すことなく語ってくれた 【スポーツナビ】
みんな、コソッと読んでいるみたい(笑)。(横浜F・)マリノスのスタッフも結構全員持ってくれているらしいね。「岡田さん、今治まで行くので教えてください。10人くらいで行きます」なんてことも言われるんだけど、僕らも、ビジネスとしてやろうとしている。そんな安易に受け入れることはできないからね。
――『岡田メソッド』はプレーモデルを中心として、自立した選手と自律したチームを作るための指導体系をまとめたものです。そもそもの発端は2014年、FCバルセロナでメソッド部長をしていたジョアン・ビラと会ったときに「スペインにはプレーモデルという、サッカーの型のようなものがある。その型を、選手が16歳になるまでに身につけさせる。その後は、選手を自由にさせるんだ。日本には、型はないのか?」と言われたことだったそうですね。
そう。これまでの日本だと、子どもの頃は教えすぎず自由にやらせて、高校生くらいからチーム戦術を教えるというのが常識だったと思うんだけど、ジョアンが言うには、スペインでは16歳までにプレーモデル(型)を身につけさせて、そこから自由にすると。日本とはまったく逆じゃないか、と思ったわけ。
俺はいろんなチームを指導してきたけれど、日本人は言われたことはきちんとやるものの、教えられるのをただ待っているだけ、自分で判断できない、驚くような発想が出てこない、という傾向があった。それは国民性によるところもあるんだけど、根本的になんとか解決できないものかとずっと思っていた。ジョアンの話を聞いたとき、その答えがここにあるかもしれないと思ったんだ。
「守破離」ってあるでしょう。武道とかの言葉なんだけど、まずは師匠から教わった型を“守り”、熟練していくにしたがって型を“破り”、最後は型から“離れ”ていく。「岡田メソッド」においても同じで、まずは16歳までにプレーモデルの原則を知識として体得する。これが“守”。次の“破”は、その原則に則って、実際のプレーの中で自ら選択して実行する。最後の“離”は、原則が潜在意識として刷り込まれているけど、頭は完全にフリーの状態で、生き生きとプレーする。このときには、選手たちが主体的にプレーできるようになるんじゃないかと思ったんだ。
――日本人選手は主体的に判断してプレーできないという問題は、長らく指摘されてきました。岡田さんの中ではいつ頃から問題視するようになり、解決するために試行錯誤されてきたのでしょうか?
(北海道)コンサドーレ(札幌)の監督時代(1999〜2001年)の終わりくらいかな。で、そのあと、マリノスの監督になった。サッカーって、確率論で考えれば結果は出せるんだよ。例えば、中央から攻めると、相手も守備を固めているからミスが増え、カウンターを受ける確率が高くなる。だから、中央ではなくサイドから攻めろと。選手が中央から攻めようとしたら、ベンチから「外に出せ!」と叫ぶわけ。選手は「うるさいな」と思っているだろうけど、外に出す。すると、勝てるんだよ。
でも、そのうち選手たちは中央が空いていても、サイドにパスを出すようになるんだよね。それで、自分は本当に選手を育てているのか、どうすれば自立した選手を育てられるのかを考えるようになった。
サッカー以外の勉強もしたし、トレーニングの組み立てを変えたり、試合後の反省ビデオを「すべき」から「いいね」ビデオに変えたり、いろいろと試行錯誤した。それで小さな答えは見つかったんだけど、本質的な答えは見つからなかった。だから、その頃からずっと考えていたな。
去年、日本代表がベネズエラ代表に前半で4点取られたでしょう(19年11月のキリンチャレンジカップ、日本は1-4で敗戦)。あの試合をテレビで見ていたんだけど、ピッチから「俺はどうしたらいいの?」「俺のせいじゃない」という雰囲気が伝わってきた。それを見て、愕然としたんだ。ああ、この光景は何十年も変わってないなと。