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「02年なのに今風のサッカーをしている」
名波浩が語る“ジュビロ黄金時代”
今なお「Jリーグ史上最強」と評価される、02年のジュビロ磐田のメンバー
今なお「Jリーグ史上最強」と評価される、02年のジュビロ磐田のメンバー【(C)J.LEAGUE】

 温故知新――故(ふる)きを温(たず)ね、新しきを知る。


 新型コロナウイルスの影響でJリーグが中断して2カ月が経った。Jリーグのない日々が続き、明るい未来はいまだ見えてこない。それでも……Jリーグには27年の歴史がある。こんな状況だからこそ、レジェンドたちの声に耳を傾けたい。新しい発見がきっとあるはずだ。


 第2回は2002年の1stステージ、2ndステージを連覇し、史上初の完全優勝を果たしたジュビロ磐田にスポットを当てる。今なお「Jリーグ史上最強」と評価されるチームの中心としてプレーした名波浩さんに黄金期を迎えていた当時のことを振り返ってもらった。

ケガのこともあり「揺れ動いていた」当時

――2002年シーズンのジュビロ磐田を語るには、01年シーズンに触れないわけにはいきません。名波さんは5月と9月の2度、右膝の負傷で離脱することになり、名波さんを欠いたチームはチャンピオンシップで鹿島アントラーズに敗れました。


 01年は年間で3敗しかしていないのに、チャンピオンシップで負けてタイトルを獲れなかった。だったらもう、1stステージ、2ndステージの両方で優勝して、チャンピオンシップをなくしちゃうしかないよな、と。それが02年シーズンのチームのモチベーションだったと思いますね。


――名波さんご自身は、開幕戦には間に合いませんでした。この年はワールドカップ(W杯)イヤーでしたから、年が明けてもリハビリをしている状態に焦りもあったのでは?


 感情としては、揺れ動いているというか。例えば、代表チーム、日本サッカー協会との“キャッチボール”の中でも、自分の思惑とは違うもの、必要のない情報が入ってきたりして、やりにくい年始だったな、という感じでした。


――1月末には日本代表が鹿児島の指宿でキャンプを行いました。名波さんは1日だけ参加されて、(フィリップ・)トルシエ監督と会談をします。「焦るな」といった声を掛けてもらったんですか?


 たぶんオフィシャルでは、そういうことになっていると思うんだけど、僕の記憶ではより具体的な話をした覚えがありますね。今の状態を説明して、代表ドクターに見せた上で、いつ復帰するのがベストなのかを話し合って。代表選考までにリーグ戦やナビスコカップが何試合あって、代表の親善試合はいつ組まれていて、この時期はヨーロッパ遠征をするぞ、といったことを共有し、そこから逆算して。


――その結果、第5節のヴィッセル神戸戦で途中出場して、復帰を果たします。


 あの試合での復帰が遅いとか、早いとかはなかったですね。痛みの具合とトップリーグでトップパフォーマンスをすることから逆算したら、この辺だろうなと。


――名波さん不在の間、磐田は開幕4連勝を飾りました。しかし、福西崇史さん、ジヴコヴィッチ、藤田俊哉さんの中盤を逆三角形に配置した3-5-2の新システムを採用したものの、なかなかうまくいかなかった印象があります。


 どうでしょうね。当たり前のように勝っていた印象もあるけれど、内容はちょっと覚えていないですね。その時期、人のことを気にしている場合じゃなかったから(笑)。


――そうですよね。


 自分のリハビリで精いっぱいというか。ウィズ・ボールのトレーニングを始めていて、みんなと一緒にメニューを消化したり、別メニューだったりしたんだけど、徐々にレベルアップできるようになって、第3節あたりで完全合流したんだと思う。ただ、2001年の春先の、ケガをする前の状態には戻せないということは、自分でも理解していたから。

日韓W杯の落選には「トルシエを恨んだことは一切ない」

日韓W杯はメンバー外となった名波。当時抱えていた思いを包み隠さず振り返ってくれた
日韓W杯はメンバー外となった名波。当時抱えていた思いを包み隠さず振り返ってくれた【写真:ロイター/アフロ】

――01年の春先というのは、名波さんを中心にしたシステム、N-BOX(※3-5-2の中盤をサイコロの五の目のように配置し、ウイングバックを置かない画期的なシステム。五の目の中心にいたのが名波だった)で鹿島に完勝を飾った頃ですね。


 そう。でも、N-BOXはもうできないということはマサくん(鈴木政一監督)にも伝えていたから。チームは4連勝しているのに、そういう状態で復帰するわけだから、感情的には、自分が足かせになるんじゃないか、今はまだ自分は必要ないんじゃないか、って思いましたよね。でも一方で、いやいやW杯もあるし、みたいな。複雑な心境だったのは確かです。


――第5節から復帰して、第6節の鹿島戦からスタメンになりました。当時のフォーメーションを見ると、3-5-2のトップ下に入っていますが、これはもうN-BOXではなくなっていた?


 そうですね。完全なトップ下。


――第7節の横浜F・マリノス戦は、W杯中断前の大一番にして1stステージ唯一の敗戦になりました。


 1-3ですよね。(中村)俊輔がいて、(奥)大介もいて。自分のコンディションはまだ60%くらいだったけど、マリノスは100%の選手がそろっていたから、厳しい試合になるだろうと思っていましたね。だから、敗戦も想定内でしたよ。


――奥さんはこのオフに磐田を離れ、横浜FMに移籍したところでした。


 もともとドリブルもシュートも一級品で、いい選手だということは僕らが一番よく分かっていたし、その成長過程も見てきたからね。うちでも中心メンバーだったけど、ちょっとモヤモヤしていて、別の強いチームに移って、エースクラスになっていった。うちにいたときはリーダー的な存在ではなかったけれど、マリノスに移ってからは、そういう部分も大きくなっていきましたよね。


――Jリーグは第7節終了後に中断してナビスコカップに入り、日本代表はその間、国内で2つの親善試合を戦ったあとに欧州遠征を敢行。そして、日韓W杯に臨むメンバーが発表されます。その中に、名波さんの名前はありませんでした。


 メンバー発表の1カ月くらい前かな、トルシエと間接的にコンタクトを取っていて、「スペイン遠征に呼ぶつもりだ」と言われたんですよ。だけど、「ちょっと待ってください。まだほとんど試合に出てないから、ナビスコカップに出るから、そのパフォーマンスを見てください」って伝えたんです。「映像でいいから」と。その結果、選ばれなかったんだから、仕方がないなと。


 実際、この膝で国際試合を戦うのは、しんどいだろうとも思っていたので。ただ、後にイタリアでケガをしていた(アンジェロ・)ディ・リービオが選ばれたんだよね。監督の(ジョバンニ・)トラパットーニが「彼はこの組織を束ねるリーダーだから選んだ」と言っていて、そういう選考の仕方もあるのかと。そんなアイデアも欲もなかったんだけど、もし「その役をやらせてくれ」とトルシエに言っていたら、たぶん選んでくれたと思うんだよね。


――そうしたら、中山雅史さんや秋田豊さんではなく、名波さんだったかもしれないと。


 ゴンちゃんは選ばれただろうから、秋田さんかな(笑)。まあ、分からないけど。でも、後にトルシエ本人にも伝えたんだけど、落選したことに対して恨んだことは一切ない。実際、ベルギー戦も、ロシア戦も、スタンドで観戦しているからね。


――素直に応援したかったと。


 もちろん。日本が勝つ姿を見たかったから。

飯尾篤史
飯尾篤史

東京都生まれ。明治大学を卒業後、編集プロダクションを経て、日本スポーツ企画出版社に入社し、「週刊サッカーダイジェスト」編集部に配属。2012年からフリーランスに転身し、国内外のサッカーシーンを取材する。著書に『黄金の1年 一流Jリーガー19人が明かす分岐点』(ソル・メディア)、『残心 Jリーガー中村憲剛の挑戦と挫折の1700日』(講談社)、構成として岡崎慎司『未到 奇跡の一年』(KKベストセラーズ)などがある。

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