女子バスケ・吉田亜沙美、姉との絆 “嫌われている”と思っていた中学時代
姉が大学で寮生活。距離が離れたことで応援し合う存在に
中学時代の吉田と高校生の沙織さんとが練習で対戦した時には激しいバトルになったという 【写真:兼子慎一郎/バスケットボールキング】
「私のことを『ねぇ』と呼んできたんです。だから私が一方的に『ちゃんと“お姉ちゃん”と呼ばないなら口をきかないよ』と言ったんです。ただ、それが本当の理由かというと、自分がなかなかチームの中でポジションを奪えなかったり、練習でうまくいかなかったりしたことを妹にぶつけていただけだったかなと。あの頃の自分はいろいろと受け入れられなかったんだと思います。
だからといって中学時代の亜沙美に対して『すごい』という感覚はなくて、そんなに騒ぐほど? って思っていたし、それよりも負けたくないという気持ちが100倍上回っていたと思いますよ」
ただ、吉田の「当時は私のことが嫌いだったのではないか」という言葉には「それはないですよね。嫌いだったら中学3年生の関東大会(全国大会予選)とか応援に行ってないですから」とキッパリ。
「亜沙美が全国大会出場が掛かった試合に負けた後、『大丈夫かな』と思って観客席からフロアに降りていったんです。そうしたら途中でバッタリと会って。その時にはもう泣いていました。とりあえず、チームが集合しているところに連れていって。その時のことを思い出すと、…やっぱり嫌いという感情はなかったですよ」と強調した。
その姉が高校を卒業すると、入れ替わるように吉田が付属の東京成徳大学高校へ。一方の沙織さんは伝統校の日本体育大学の門をたたくこととなった。
沙織さんは日本体育大学で寮生活。さらにそれまでとは環境が変わったことで、2人にもまた違った関係が生まれた。
「私が大学に進み、2人の距離ができたことで、逆にお互いが認め合い、応援するようになりました。この頃からまた仲良くなった気がしますね。それに時間を過ごしている場所が違い過ぎたというか、日体大にいると『妹、すごいね』なんて言われないんですよ」と沙織さんは回顧する。
吉田も同様に「姉が大学に行ってからすごく仲良くなった気がします。姉の大学の同級生から『よく亜沙美の話をしているよ』と聞いて、『え、嫌われてなかったんだ』ってうれしくて。私は姉のことは昔から好きだけど、それは一方通行だと思っていたんです」と語った。
吉田は、高校時代からずっと、目標や憧れの選手といった質問には沙織の名前を必ず挙げてきた。今もそれは変わらない。一体、その理由は何であったのか――。
(企画構成:バスケットボールキング)
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【写真:兼子慎一郎/バスケットボールキング】
1987年10月9日生まれ。東京都出身。JX-ENEOSサンフラワーズ。ポイントガードガード。背番号12。166センチ/62キロ。東京成徳大学高校を経て、2006年にJOMO(現JX-ENEOS)に入団。そのシーズンにWリーグのルーキー オブ ザ イヤーを獲得すると、その後も皇后杯、Wリーグとで数多くの優勝に貢献。アシストなど個人タイトルも多く獲得した。現在、Wリーグでは11連覇中のJX-ENEOSだが、全てのシーズンで試合に出ていたのは吉田だけとなる。また、日本代表には高校3年生で初選出されると、ここまでオリンピックをはじめ、幾多の国際大会を経験。2010年のワールドカップでアシスト王になるなど、日本だけでなく、世界レベルの活躍を見せている。