連載:“伝統の番号”を受け継いだJクラブの一番星

今季から紫のナンバー10を背負う森島司 初代10番の“ドラゴン”を超えられるか

中野和也
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久保や柏木、浅野ら歴代の名手がつけた紫の10番は森島に受け継がれた。クラブの期待に応え、偉大な先人たちを超える存在に―― 【(C)J.LEAGUE】

 サンフレッチェ広島で今季から10番を背負うのが、昨季ブレークしたプロ5年目の俊英、森島司だ。紫のナンバー10といえば、久保竜彦に代表されるように、ストライカーの番号というイメージが強いだろう。東京五輪代表候補にも挙がる進境著しい22歳は、2列目のチャンスメイカーとして新たな10番像を築けるか。

サンフレッチェ広島「背番号10」の系譜
久保竜彦(97〜02年)→マルセロ・エルツェッグ(03年)→チアゴ(04年)→ガウボン(05年)→ウェズレイ(06〜07年)→柏木陽介(08〜09年)→ムジリ(11年)→高萩洋次郎(13〜14年)→浅野拓磨(16年)→フェリペ・シウバ(17〜18年)→パトリック(19年)→森島司(20年)

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イングランドの慣習にならって

広島の10番といえば、かつてはエースストライカーの番号だった。まだ固定番号制ではなかったJリーグ創成期には、この高木がナンバー10を背負った 【写真:アフロ】

 紫の若者たちにとって、10番はそれほど人気のある番号ではなかった。

「この番号が欲しい」と圧倒的な人気を集めていたのは8番。続いては7番だ。森崎和幸と森崎浩司。日本サッカー史に残るツインズに対する憧憬(しょうけい)が、「8」と「7」に対する渇望へと向かわせていた。11番を求めていたのが、浅野拓磨である。偉大なる佐藤寿人に対して敬意を抱きつつ、いずれは彼から「11」を受け継ぎたいと強く思っていた。

 一方で10番はどうだったか。
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著者プロフィール

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルートで各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年よりサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するリポート・コラムなどを執筆。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。近著に『戦う、勝つ、生きる 4年で3度のJ制覇。サンフレッチェ広島、奇跡の真相』(ソル・メディア)

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