八村塁、渡米前に描いていた「将来の目標」 18歳当時の貴重なインタビューを再掲載

小永吉陽子

「お前がハーフ選手の大将だ」

心の面を一番学んだという高校3年間。佐藤久夫コーチ(右)からは「お前がハーフ選手の大将だ」と伝えられた 【写真は共同】

――明成がウインターカップ3連覇を果たした一番の要因は何だと思いますか?

 先生(佐藤久夫コーチ)と選手たちの関係というか、絆とか信頼するところがすごくあったと思います。僕たちは2年生からずっと同じメンバーでやってきて、いろいろな大会で経験をしてきたので、それが生かせました。

――ウインターカップで印象に残っているのは、明成の選手たちの自信。決勝の土浦日大には前半リードされ、準々決勝の八王子学園八王子には大量リードから一時は逆転されましたが、みんな落ち着いてプレーしていました。あの自信も信頼関係から来るものですか?

 ウインターカップは負ける気がしなかったですし、絶対に優勝する自信がありました。土浦日大とか八王子は簡単に勝てるチームではないですし、ああいう大きな試合でやってこないわけがないので、相手(の波が)がくることは分かっていました。久夫先生にも関東のチームは勢いとノリがあると言われていましたし、練習でもいろいろなパターンで逆転するゲームをたくさんやってきたので、競ってもみんな落ち着いていましたね。でも決勝の前半に納見(悠仁)の(シュートの)当たりがこなくて、そこだけちょっと焦りました。4クォーターで爆発してくれたから良かったです(笑)。

――著しく成長した高校3年間でしたが、明成で学んだことは?

 何を学んだかと言われたら、一番は大人として、男としての態度とか行動です。バスケはもちろんだけれど、そういう心の面を一番学びました。

――「男としての態度」というのは具体的にどんなことですか?

 去年の11月くらいに久夫先生から「お前はハーフ選手の大将だ。塁の頑張りを見てみんながついてくるんだ」と言ってもらえて、ハーフ選手の大将になれているかどうかは分からないけれど、そうなれるように頑張ろうと思いました。僕が中学生のころはハーフの選手はあまりいなかったんですけれど、高校生になったら実はたくさんいて、僕はそれが本当にうれしくて。ハーフの選手はみんな仲間だと思っているので、久夫先生の言葉は今までの人生でいちばんうれしい言葉でした。

――ハーフ選手のリーダーとして、どうありたいと思いますか。

 ハーフの中には人と違うことがイヤだという人もいるんですけれど、僕はそういうことを一回も思ったことがなくて、ハーフであることで2つの国のいいものを持っていて、いいことしかないと思っています。こんなに動ける体に生んでくれた両親に感謝していますし、肌の色が違うことで、みんなから注目されるのはいいことだと思います。僕が頑張って、他のハーフ選手も頑張ってくれたらすごくうれしいです。

――心の面以外に、明成の3年間で技術的に伸びたと思うことは?

 国際大会で通用するようにと、久夫先生がいろいろなポジションをやらせてくれたのが良かったと思います。明成はフォーメーションがあまりなくて、基本をしっかりやって、選手たちの考えで試合をやるんです。そういう経験ができたのも自分のためになりました。個性を生かしてくれたのが僕にとっては良かったです。

日本にできたプロバスケ「Bリーグ」の存在

15年には日本代表候補にも選ばれた。「戦術的をしっかり覚えられる選手になりたい」 【写真:伊藤真吾/アフロスポーツ】

――この秋、日本に新しいプロリーグが誕生します。Bリーグの印象、こういうプロリーグになってほしいという願いはありますか?

 日本のバスケ人口は(他の競技と比べて)多い方だと思うんですけれど、1つのリーグになって、プロリーグでやるというのは、見る人も増えてこれからの日本のバスケも盛り上がるんじゃないかと思います。

――2つに分裂していたプロリーグが1つになることで、周囲の選手たちの反応はどうですか? 若い選手たちのモチベーションは上がりますか?

 僕もそうなんですけれど、他の人の話を聞いても、プロを目指そうという選手が増えてきています。今までは2つのリーグがあってハッキリしないところもあったんですけれど、やっぱり1つになったことで、みんなも1つに向かって頑張ろうというところが出てきたと思います。

――昨年は日本代表候補に入りましたが、通用したところと課題は?

 僕がやらなければいけないと思ったのは、戦術的なところです。フォーメーションがあまり覚えられませんでした。高校でもそこまでやることがなかったので、チームに迷惑をかけてしまいました。戦術的なところでしっかり覚えられる選手になっていきたいです。

――その戦術面の理解不足から、ジョーンズカップ(台湾での国際親善大会)ではあまり試合に出ることができませんでしたが、悔しい思いはありましたか?

 それは仕方がないと思っていました。だから戦術よりも、日本代表としての考え方とか、大会中の過ごし方とか、コンディション作りとか、そういうのを田臥(勇太)さんや先輩たちを見て感じていました。それは高校では経験できないことなので、いい勉強になったと思います。

――日本代表候補に入ったことで、五輪やワールドカップに出たい気持ちは出てきましたか?

 五輪を自分たちの国でやることはすごくいいと思っているので、(2020年の東京五輪では)日本代表の先輩たちと一緒にプレーできたらいいなと思います。

NBA選手になるために「人間力」をつけたい

――将来の目標を聞かせてください。

 目標はNBA選手になることです。あと、2020年の東京五輪で、米国を倒してメダルを獲りたいです。

――NBA選手になるために、これから自分がやるべきことは何だと思いますか?

 フィジカルや技術でもまだまだだと思うので、そこをしっかり鍛えて、気持ちの部分でも人間的に大きくなれるようにやっていきたいと思います。やっぱり「人間力」というか、そこが必要だなと思います。

――八村選手が思う「人間力」とは?

 大人としてというか、大きい人間になることが必要なんじゃないかと思います。

――それは、佐藤コーチに言われた「ハーフ選手の大将」になることにもつながりますね。

 ずっと久夫先生は、「人間力が高まればバスケも成長する」と僕らに言ってくれて、それが一番大事だと僕も思うようになりました。バスケだけできてもダメなんだって、考えるようになりました。

――ということは、今は勉強を頑張らなくてはなりませんね。

 今はそれを一番やらなければいけないです。すごく勉強が大変なんですけれど……バスケのためと思えば頑張れます。

――目の前の目標として、NCAAでプレーすることになれば、どこのポジションでどういう選手を目指したいですか?

 どこのポジションというのはなくて、コーチに「このポジションをやってくれ」と言われたら、そのチームに合わせて対応できるような選手になりたいです。アウトサイドシュートを確実に決められるようになって、大きくても動けて、いろいろなポジションができる選手になりたいです。

八村塁(はちむら・るい)プロフィール ※2016年当時

【スポーツナビ】

1998年2月8日生まれ、18歳。富山県出身。202センチ。ベナン人の父と日本人の母との間に生まれる。2014年8月のU−17世界選手権では、米国戦で25得点を挙げるなど活躍し、1試合平均22.6点を稼いで得点王に輝いた。奥田中(富山)→明成高(宮城)。明成高ではウインターカップ3連覇の立役者となる。15年には日本代表候補入りも果たした。

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著者プロフィール

スポーツライター。『月刊バスケットボール』『HOOP』編集部を経て、2002年よりフリーランスの記者となる。日本代表・トップリーグ・高校生・中学生などオールジャンルにわたってバスケットボールの現場を駆け回り、取材、執筆、本作りまでを手掛ける。

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