投手王国・広島で生き残るために ドラフト外の清川栄治が企んだ大胆な賭け
投手王国と言われた1980年代の広島で輝きを放った清川栄治氏。往年のピッチャーとしてだけでなく、コーチとしての目線からも左サイドスローについて語ってもらった 【撮影:白石永(スリーライト)】
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古葉監督の目前でついに秘策を実行
1年目秋季キャンプでの賭けが、ドラフト外で入団した清川コーチの野球人生を大きく変えることになった 【撮影:白石永(スリーライト)】
「そりゃあもちろん、プロでも先発で活躍する夢はもっていましたよ。そうしたスタミナでも負けてはいなかった。だけど、それ以上にカープの投手陣が充実していたんです。2軍の監督、コーチはまったく振り向いてもくれない。これは人がやらんようなことをやらなければ――自分しかいない“オンリーワン”にならなければ、首脳陣の目に留まることはできないな、とまず考えました」
1年目の秋、フロリダ教育リーグからの帰国後、参加した秋季キャンプ。そこで、清川は“オンリーワン作戦”を開始した。簡単なのは、持ち球を増やすことである。しかし、首脳陣に振り向いてもらうための大きな勝負。何か大胆に変えなければいけない。「ここで勝負をかけてダメだったら、それまでよ」という覚悟である。
「そこで考えたのが、腕を下げること。実は高校2年生のとき、一度サイドスローをやったことがあったんです。ただ、2軍でサイドスローを大っぴらにやって、首脳陣に『勝手なことをするな』とか『お前はそんなんじゃあ無理だ』とか、ストップをかけられるのが怖かった。だから1年目の途中には真剣に考え始めたんですけれども、じっと雌伏のときを過ごしていました」
「いざ試合で投げ始めると、やはり左バッターがタイミングを取りづらそうにしているのはすぐにわかりました。だから、低めを意識して投げることとタイミングの取り方で、なんとか1軍で食っていけないかなと。そんな光が、にわかに差し込んできましたね」
左打者を幻惑させた七色のカーブ
縫い目に二本の指をかける「七色のカーブ」の握りを見せてくれた 【撮影:白石永(スリーライト)】
「1軍に定着したのは、3年目の1986年ですね。このころから、自分は中継ぎで生きていくのかなと思い始めた。この年良かったのは、津田(恒実)さんが抑えに配置転換され、僕も初めて1軍で左専用のリリーフという形になったこと。リリーフ陣全体に、厚みが出てきたんです。右は84年に最優秀防御率を獲った小林誠二さんがいて、僕と同じサイドスロー。ブルペンで一緒に肩を作っていると、右と左で鏡写しのような状態になるんですよ。それで僕、よく小林さんのタイミング、腕の使い方、足腰の位置など、マネをしていました」
現役時代を通していえば、球種の割合はストレート4.5、カーブ4.5、シュート1。若いころは2、3イニング投げることもあったため、フォークやパームボールを投げた時期もあった。逆に晩年は、カーブ中心。左バッターに対することがほとんどで、体の近くから逃げる有効な球として多投した。
一般的に、カーブは1本の縫い目に指をかける。しかし清川は二本の縫い目に指をかけていた。清川は手があまり大きくないし、リリーフで緊張すると、汗をかく。力を入れなければならないところで人差し指や中指が外れ、ボールがすっぽ抜けてしまってはいけない。そこで「保険」のため、二つの縫い目に指をかけた。
「指がよくかかったときは、曲がり幅が広くなるんです。ちょっとずれるとチェンジアップ的になって、それはそれでいいことがあった(笑)。スライダー的に小さく曲げる、大きく曲げる、緩く曲げる、ちょっと落とす、あるいはちょっと伸びてホップするようなイメージとか。“曲がらないカーブ”なんていうのもありましたね(笑)。サインは同じ“カーブ”でも、指先の力の入れ具合や手首の角度、腕の使い方などで、曲がり幅を調節していました」
そういうわけで、あるスコアラーは清川のカーブを『七色のカーブ』と呼んでいた。敵からしてみれば、なんともやっかいな相手である。並み居る左バッターたちが、球の出どころが見づらい左サイドスロー・清川を苦手とした。広島時代は横浜大洋・高木豊や巨人・クロマティら。近鉄時代には、日本ハム・ウインタース、オリックス・藤井康雄ら。とはいえ、カモと苦手は「ある日を境に、逆になることもある」という。中には心理作戦(?)で、対抗してくるバッターもいた。例えば大洋・高木豊である。
「ある日の試合前、高木さんが『今日初球は何を投げるんだ?』と話しかけてきましてね。当時はまだ“相手チームの打者とは話をするな”という時代。慌てて逃げたんですが、何か空気が変わったんですかね。その試合か、次の試合でホームランを打たれて、それから何か苦手になってしまった。ウインタースは試合前、ニコニコしながらやってきて、『この腕が悪いんだ』と言って、右腕をへし折るようなポーズを取ったんです。左腕じゃなかったんだけど、その日にホームランを打たれて、吉井(理人)の勝利を消してしまいました。何かちょっとした心の動きが、作用するんでしょうね」