秋吉亮が過ごした不本意な2年間 復活を誓う中、突然のトレード通告
4年目のシーズン、右肩の違和感で離脱
WBC侍ジャパンのメンバーに選ばれ、順風満帆なプロ野球人生を過ごしていたが、4年目のシーズン、右肩の違和感で途中離脱を余儀なくされた 【Getty Images】
ところが、である。6月30日の阪神戦(甲子園)、9回2死二、三塁の場面で、秋吉は右肩に違和感を覚え、マウンドを降りる。翌日検査を受け、下された診断は右肩甲下筋の肉離れ。1軍のマウンドに戻ったのはシーズンも終盤にさしかかろうかという、8月29日のことだった。
「結局それが次の年まで響いて、去年はもうひとつ状態が戻りませんでした。1軍と2軍を行ったり来たり。良い状態で投げるのが一番ですが、チーム状況によっては、良い悪いにかかわらず投げなければいけないときもある。悪いときでも悪いなりにしっかり抑えるのが、リリーフの仕事。悪いから打たれた、ではしょうがない。だけど去年は、肩がよくなって上がったら、またちょっと状態が悪くなって打たれて……の繰り返しでしたね」
プロ入り後、秋吉の1軍での登板数はこうだ。14年61試合、15年74試合、16年70試合。17年は離脱するまで29試合、約2カ月後に戻ってまた14試合に投げた。18年も35試合に投げている。リリーフ――特に中継ぎを務めると登板数はどんどん増え、いわゆる“勤続疲労”がささやかれるようになる。
「リリーフは1年間投げたら、どうしても試合数が60、70になってしまう。そのへんはキツイです。だけど、それでもケガをせずにずっと投げているピッチャーもいます。そこはトレーニングの仕方などもあるはずなので、僕もしっかりトレーニングを行なって、ケガをしない体を作るのが一番だと思いました」
リリーフは自ら勝ち取るポジション
「リリーフの僕にとって、登板数とホールド数、セーブ数、防御率は勲章のようなもの」と、飾らない言葉で、そのやりがいを語ってくれた秋吉 【スリーライト】
「それなのに、ケガで2年間、不本意なシーズンを過ごした。同じ轍(てつ)を踏まないためにも、トレーニング、ケア……何かを変えなければいけないと思いました。まずは痛めた箇所のトレーニング、そして、その周りの筋肉のトレーニングですね。それから柔らかさを出すためのトレーニングは、かなり気にしてやるようになりました。僕の投げ方からいって、柔らかさがないと投げ切れない。筋肉が固まってしまうと、腕も上がりにくくなって、そこからケガにつながると思うので。今まで以上にしっかりやるよう、投げたあとのインナートレーニングを含め、今も欠かさず続けています」
18年12月10日、秋吉はその年の契約更改に臨んだ。2年連続の減俸は、承知の上だった。だが球団からは、別の話もあった。それが北海道日本ハムファイターズへのトレードである。
「2年間、ヤクルトで結果を残していなかったから……3年間やってきたといっても、仕方ないですよね。でも、やはりチームを替わるのは――ヤクルトを離れるのは、ちょっと寂しかった。ただ一方で、これを機に何か気持ちを新たにできるのかな、という思いはありました」
翌日、ヤクルトと日本ハム両球団から、2対2のトレードが正式に発表された。
(企画構成:株式会社スリーライト)
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