連載:イチロー取材記 駆け抜けた19年

“イチロー襲撃計画”が報じられた背景 嫉妬、孤立、渦巻く不穏な空気

丹羽政善

チームメートの嫉妬、兆候は2007年から

個人記録を冷ややかに見るチームメートがいたのは事実。イチローは孤立していった 【Getty Images】

 あの一件は、その後も尾を引いた。

 およそ2カ月後の7月29日、イチローはテキサスで日米通算3000安打を達成。敵地でもあり、控え目にヘルメットを脱いで応えただけだったが、そのときチームメートの一部は、「イチローは個人記録のためにプレーしている」と、冷ややかに見つめた。このことは後に、トラウマとなってイチローを縛ることになる。

 イチローがこんな話をしたのは翌月7日のことだった。

「足を引っ張ろうとする人がいるので、負けているチームというのは。それには引っ張られないように、とは思っている。結局、それは結果を出していくしかないので、そこの強い気持ちはちょっと持っている。うまくいかないからといって、人も巻き込みたいという人がいるので、そこには負けないという気持ちは持っている」

 いろんなことが1本の線でつながる。

 2009年の春になり、レイズのスカウトに転身していたマクラーレンが、こんな話をしてくれた。

「(イチローに対する)ジェラシーだよ。子供のような選手ばかりだった」

 そのゆがんだ感情が、イチローに向けられたと。

「その通りだ」

 実はその前年の2007年から兆候があったそう。

 イチローが5年間の契約延長を交わし、オールスターゲームでMVPを取った年である。あの年、7月1日にマイク・ハーグローブ監督が辞任。代わってベンチコーチだったマクラーレンが代行監督に就任したが、気になることが少なからずあった。

 イチローもその年の5月、チームの雰囲気を聞かれると、「クラブハウスに変な形で出てきている。『ちょっと君、まだ早いんじゃないの』っていう人がいます」と指摘していた。

「しかし、あのときはホセ・ギーエンがいて、そういう空気を抑え込んでいた」とマクラーレン。「彼を2007年のシーズン終了後に手放したのが、痛かった」。

 偏屈で自らがトラブルの火種になることも少なくなかったギーエンだが、曲がったことが大嫌いだった。

「誰かが、陰でチームメートの悪口を言ったとする。それをギーエンが耳にすると、その選手を誰もいないところに呼び出して言うんだ。『文句があるんなら、直接そいつに言え。陰でごちゃごちゃ言うんじゃない』と。まあ、ギーエンについては、悪く言う人もいたが、2007年のチームというのは、ギーエンがある意味、支えていたんだ」

 意外だった。その2007年半ば、ペトコ・パークのトレーナールームでギーエンとマクラーレンが、大声で言い争うのを見たことがある。

「ああやってたまにはガス抜きをしてやらないと」
 
 マクラーレンは直後、笑いながらそう言ったが、確かにギーエンも引きずることはなかった。

 ロイヤルズに移籍していたギーエンにマクラーレンの言葉を伝えると、「俺は厄介には関わりたくないんだ。勘弁してくれよ」と苦笑したが、やがてこう言った。

「こそこそと、その選手がいないところでうわさ話をしているヤツが、許せない。そんなヤツがいたら、『本人にはっきり言え』と、言うね。そもそもイチローが自分勝手な選手だなんて……。イチローほど、すべてを野球に捧げている選手を俺は知らない」

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著者プロフィール

1967年、愛知県生まれ。立教大学経済学部卒業。出版社に勤務の後、95年秋に渡米。インディアナ州立大学スポーツマネージメント学部卒業。シアトルに居を構え、MLB、NBAなど現地のスポーツを精力的に取材し、コラムや記事の配信を行う。3月24日、日本経済新聞出版社より、「イチロー・フィールド」(野球を超えた人生哲学)を上梓する。

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