連載:アスリートのビクトリーロード

富樫勇樹(バスケットボール)が語る金メダルへの道「見る人に喜んでもらいたい」

岩本勝暁
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提供:味の素株式会社

松田丈志(「勝ち飯®」アンバサダー)×富樫勇樹(バスケットボール) インタビュー

富樫勇樹に学生時代のことや食生活などを語ってもらった 【写真:築田純】

 勝利のために。トップアスリートは試合に勝つため、世界に勝つため、自分に勝つために、日々たゆまぬ努力を続けている。本連載「ビクトリーロード」では、さまざまなアスリートがこれまで歩んできた、そしてこの先に思い描く「勝利への道筋」をひもとく。聞き手は、自身も競泳選手として北京2008オリンピック、ロンドン2012オリンピック、リオデジャネイロ2016オリンピックで4つのメダルを獲得してきた競泳の元日本代表選手で、現在はコメンテーターなど幅広いジャンルで活躍し、味の素(株)の栄養プログラム「勝ち飯®」アンバサダーの松田丈志が務める。

 第5回は、バスケットボール選手の富樫勇樹と対談する。富樫は身長167センチと小柄ながら、所属するチームでも抜群のスピードとテクニックを武器に多くのファンを魅了している。

 バスケットボールに夢中になった少年時代、米国留学を果たした高校時代、日本のプロリーグの開幕で感じた意識の変化、そして、悲願の東京2020オリンピック出場へ――。新境地を切り開いていく日本バスケットボール界のトップランナーに、松田が迫った。

バスケットボールとの出会い

バスケットボールを始めたのは小学校1年時。しかし当時は「サッカーがやりたい」と言っていたそうだ 【写真:築田純】

松田 ご無沙汰しています。1年ほど前に千葉で焼肉を食べて以来ですね?

富樫 そうですね(笑)。

松田 今日は富樫選手の子どもの頃のお話から伺っていこうと思います。そもそもバスケットボールを始めたきっかけは何だったのですか?

富樫 もともと両親がバスケットボールをやっていて、練習に連れて行かれたことがきっかけです。小学1年の時なので、20年近く前になりますね。ただ、当時は自分からすすんで「バスケットボールがやりたい」という感じではありませんでした。むしろ、「サッカーがやりたい」と言っていたそうです。

松田 いつ頃からのめり込んでいったのですか?

富樫 小学3年までは、単純にバスケットボールを楽しんでいました。のめり込むようになったのは、小学4年になってからです。強いチームだったので、試合に絡むようになってからは「全国大会に出る」ことを目標に頑張っていました。

松田 初めて全国大会に出場した時のことは覚えていますか?

富樫 小学5年の時でしたけど、すごく緊張したことを覚えています。それまで経験がないようなとても大きな体育館でプレーをしたのですが、雰囲気にのまれたまま終わってしまいました。

松田 それ以降はどうですか? バスケットボールで成長を実感することはありましたか?

富樫 中学2年の時に、初めて年代別のトップチームに選ばれました。その時に、「これからもバスケットボールを続けていこう」と意識し始めたように思います。

松田 練習がつらいとか、バスケットボールを辞めたいということはなかったですか?

富樫 中学の時は、父がコーチだったんです。練習は……まあ、キツくなくて(笑)。

松田 キツくない、ですか?

富樫 はい。部活動の数が多かったので、体育館を使える時間が1時間半くらいしかなかったんです。走るトレーニングもなかったので、練習がつらいと思ったことは一度もないですね。

松田 お父さんがコーチをされていたというのを聞いて、練習もすごく厳しいと思っていました。

富樫 もちろん、叱られることはありましたよ。でも、練習がキツいということはなかったです。「ミスをしたらコートを10往復」というような、理不尽な罰走もなかった。とにかくゲーム形式の練習をたくさんやっていました。

松田 米国のプロバスケットボールリーグの映像も見ていましたか?

富樫 今のようにすべての試合を見られるという環境ではなかったですけど、テレビで中継された時は、それを録画して見ていました。

バスケットボールの本場・米国での学び

高校時代を過ごした米国では、想像以上に「やれる」との気持ちを抱いたという 【写真:築田純】

松田 そして、高校に上がるタイミングで、米国留学を決意されましたね。バスケットボールの本場でもある米国はどうでしたか?

富樫 米国に行った理由は「米国で挑戦」というよりも、「よりレベルの高いところでやりたい」というのが正直なところだったんです。そもそも、自分が米国で活躍できるとも思っていなかった。だから、最初に行った時も、米国のバスケットボールは「やっぱりすごいな」というのが第一印象でした。とにかく選手の体が大きいですから。

松田 「壁」のようなものは感じましたか?

富樫 そもそも自分の中で「活躍できない」と思って行っています。それでも、1年目からメンバーに入ることができました。シーズン中も時々、試合に出させてもらいました。だから、自分が想像していた以上に「やれる」という気持ちはありましたね。

松田 水泳でも同じようなことがあって、確かに海外の選手は体が大きくて「速そうだな」という印象を受けるんですけど、実際に一緒に泳いでみると意外と通用する部分があるんです。富樫選手も「できない」というところから入っている分、手応えを感じられたのかもしれないですね。

富樫 そうですね。2年目の最初はスタメンで出させてもらう機会もありました。大事な場面でコートに立つこともできた。そのあたりから、少しずつ自信がついてきました。

松田 米国に行ったことで、日本のバスケットボールのいいところも見えたのではないですか?

富樫 はい。体格という部分では大きな差がありましたが、技術の部分ではそれほど違いを感じませんでした。むしろ監督からは、「体のサイズが合えば、このチームでベストのガード(ポイントガード)になれる」と言っていただいたほどです。

松田 逆に、練習の取り組み方など、「米国のこういうところがいいな」というのを感じたことはありますか?

富樫 何と言ってもバスケに対する情熱ですね。全員がプロを目指してやっているので、練習の激しさが違いました。あまりの激しさに「ケンカになるんじゃないか」と思うことが何度もありました。実際、3回ぐらい殴り合いになって、止めるのが大変でした。怖かったですよ。2メートルの選手が本気で暴れているわけですから(笑)。

松田 すべての選手がトップに上がるために必死なんですね。富樫選手自身は、米国で一定の評価を得ながらも、高校卒業後は帰国の道を選びました。

富樫 はい。高校の3年間を米国で過ごした後は、全米の大学体育協会に「学費全額免除」で行くことを目標に掲げていたんです。ところが、体のサイズと自分のアピールが足りなかった。一番レベルが高いディビジョン1のチームからもオファーがあったんですけど、その条件が「全額免除」ではなく自費で大学に在籍するというものでした。それで、少し気持ちが切れてしまって……。

【味の素(株)】

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著者プロフィール

1972年、大阪府出身。大学卒業後、編集職を経て2002年からフリーランスのスポーツライターとして活動する。サッカーは日本代表、Jリーグから第4種まで、カテゴリーを問わず取材。また、バレーボールやビーチバレー、競泳、セパタクローなど数々のスポーツの現場に足を運ぶ。

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