連載:アスリートのビクトリーロード

富樫勇樹(バスケットボール)が語る金メダルへの道「見る人に喜んでもらいたい」

岩本勝暁
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提供:味の素株式会社

偏食を少しずつ改善し、プレー面で手ごたえも

対談では食に関する驚きのエピソードが明かされた 【写真:築田純】

松田 いったん帰国した後、再びサマーリーグ(プロへの登竜門。活躍次第でチームと契約することができる)に挑戦しますね。味の素さんと栄養の取り組みを始めたのもその頃からだと伺っています。

富樫 はい。サマーリーグに出場してプロの下部チームに所属することが決まりました。その時に、改めて体の差というのを感じたんです。「変えていかなければいけない」と思い、そこから味の素さんと一緒に体づくりを始めました。いろいろなアドバイスをもらいながら、かれこれ3年くらいになります。けっこう成果は出ていますよ。

松田 体の差というのは、実際のプレーでどういう時に感じるものですか? 

富樫 バスケットボールはコンタクトが多く、体重が重い方が有利だと感じることもあります。自分が攻撃している時もそうだし、守っている時もそう。常に体格の差を感じながらプレーしています。

松田 僕は体験したことがないのですが、2メートルを超えるような選手の当たりはすごいですか?

富樫 どう表現していいかわからないけど、吹っ飛ばされます(笑)。ディフェンスをしていても、簡単にスペースを作られてシュートを打たれてしまう。そういうことが何度もあったので、少しでも耐えられる体力をつけるために、食事から始めようと思いました。

松田 実際に何を変えて、どういう目標を設定してやってきたんですか?

富樫 当時は体重が59キロくらいでした。せいぜい61キロ。そこで、「70キロで動ける体」を目標に設定して、そのためのアドバイスを少しずついただくようにしました。実は僕、好き嫌いがすごく多くて、量もそんなに食べられなかったんです。だから、そこは「しょうがない」と。一方で、練習の前におにぎりを食べるなど、できるだけ間食を増やしました。「食事の回数を増やす」というのが最初のアドバイスでしたね。

松田 偏食があったんですね。エピソードはありますか?

富樫 野菜を初めて食べたのが16歳の時です。米国に行って、レタスを初めて口にしました(笑)。

松田 えっ(笑)。

富樫 中学の時はもっぱら肉と芋です。

松田 魚介類は?

富樫 今でも生魚は好きじゃないです。最近になって、ようやく焼き魚を食べるようになりました。

松田 お寿司も苦手ですか?

富樫 カッパ巻きとか……(笑)。他に食べられるのは、玉子、納豆ですね。新潟出身なので、もったいないとよく言われます。

松田 新潟は食の宝庫とも言われますからね。確かにもったいない! そうすると、「今日は美味しいものを食べよう」という日はお肉がメインですか?

富樫 はい。ステーキ、焼肉、しゃぶしゃぶ、すき焼き、お肉は何でも好きです。

松田 それも少しずつ克服していったということですね。

富樫 もともとあった偏食を少しずつ改善していくことで、プレーの面でも結果を残せるようになりました。かなり変化はあったと思います。トレーニングの量にかかわらず、体重が大きく減ることが少なくなりました。疲労も軽減しました。それまでは、食欲がない時に2キロくらい体重が落ちて、それを取り戻すのに1、2カ月もかかっていたんです。そういったことが減りましたね。

「ストップ」と「跳ぶこと」の幅を出せるように

食事とトレーニングは両輪だと話す富樫 【写真:Chinami Uematsu】

松田 一方で、トレーニングはどうですか? 食事とトレーニングは両輪だと思います。どちらか一方だけが前に進むというわけにはいきません。

富樫 米国の高校に行ってから本格的にトレーニングを始めました。割と好きな方で、オフの日もチームメイトと一緒にやっていました。ベンチプレスで何キロを挙げられるか、という目標を掲げながら楽しくやっていましたね。

松田 すごくパワーがあって、ベンチプレスでは100キロを挙げるそうですね。

富樫 はい。しっかりトレーニングをしている時なら、100キロは挙がります。ただ、日本のプロリーグが開幕してからは土日が試合なので、トレーニングをするのは平日の2日くらい。チームに(トレーニングなどのサポートを行う)ストレングストレーナーがいるので、練習の前後に時間を合わせながらやっています。

松田 目指している体づくりというのはあるのですか? 例えば、「こんな体の使い方ができるようになりたい」というような。

富樫 バスケットボールは切り返しの多いスポーツで、特に僕くらいの身長(167センチ)だと、できるだけ自分の周りにスペースを空けてシュートを打った方が成功する確率が上がるんです。そういった意味でも、ステップして、止まって、後ろに戻るといった動作を練習でやっています。ストップと跳ぶことの両方ですね。その幅を出せるように、トレーニングしています。

「また見に来たい」と思ってもらえるプレーを

「ただ、勝つだけではダメ。応援してくださる方に喜んでもらう」と富樫は力強く話した 【写真:築田純】

松田 日本のプロリーグが開幕して3年目のシーズンになりますが、日本のバスケットボール界は変わってきましたか?

富樫 東京2020オリンピックに出場するために、いろいろな方の努力があってこのリーグがスタートしました。今年で3年目になりますが、環境が大きく変わったことで、選手全員の意識も変わり始めています。

松田 環境の面では、どこが大きく変わりましたか?

富樫 まずは観客数が大幅に増えました。お客さんがたくさん入った会場でプレーすると、選手の意識も違ってくる。特に僕が所属するチームの試合会場は、いつも満員です。3、4年前は3000人も入れば多いと言われていたけど、今はコンスタントに5000人は入っていますから。そこが一番変わったところだと思います。

松田 それだけたくさんの人が見に来てくれたら、選手としても皆さんに喜んでもらう試合をしないといけないですね。

富樫 もちろんです。だからと言って、派手なプレーをするという意味でありません。ただ、プロフェッショナルとしてファンの方に「また見に来たい」と思ってもらえるような試合をしなければいけない。それは、社長をはじめチームに関わるすべての人が言っていることです。ただ、勝つだけではダメ。応援してくださる方に喜んでもらうことを意識するようになりました。

松田 日本にもプロリーグができてバスケットボール界が底上げされました。富樫選手の生き様は、日本のバスケ少年にも夢を与えますね。

富樫 167センチでも試合に出ている。「この身長でも活躍できるんだよ」というのは示していきたいですね。バスケットボールの場合、身長が低いというだけで不利になることは多々あります。僕自身、米国の大学に進学しようとした時に、この身長だけで「いらない」と言われました。だけど、小さくても活躍できるということを少しでも証明できていることは、自分にとってもうれしいですね。

松田 ぜひ東京2020オリンピックで日本のバスケ少年に夢を与えるプレーを見せてください。ありがとうございました。

(文中敬称略)

富樫勇樹(とがし・ゆうき)

【写真:築田純】

1993年7月30日生まれ。新潟県新発田市出身。小学校時代にバスケットボールを始める。中学3年生で全国大会優勝。高校は米国で過ごし、1年時からロースター入りを果たすと、2010年には所属するモントロス・クリスチャン高の全米ランキング2位に貢献した。2012年のイベントBasketball Without BordersではMVPを獲得。高校卒業後は秋田ノーザンハピネッツに入団し、2012−13シーズンbjリーグ新人賞に輝く。翌シーズン終了後には米国プロリーグへの登竜門であるサマーリーグに参戦。2014年にはアジア競技大会で銅メダルを獲得した。その後、海外チームを渡り歩き、2016−17シーズンから日本復帰。ポイントガードとしてチームをけん引している。

松田丈志(まつだ・たけし)

【坂本清】

宮崎県延岡市出身。4歳で地元・東海(とうみ)スイミングクラブに入会し水泳を始める。北京2008オリンピックにて200mバタフライで銅メダルを獲得。この活躍が認められて宮崎県民栄誉賞と延岡市民栄誉賞を受賞。ロンドン2012オリンピックでは200mバタフライで銅メダル、400mメドレーリレーで銀メダルを獲得。リオ2016オリンピックで800メートルリレーのアンカーとして銅メダルを手にしたのち引退。現在は、コメンテーターなど幅広いジャンルで活躍。味の素(株)の栄養プログラム「勝ち飯®」アンバサダーという一面も。

【味の素(株)】

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著者プロフィール

1972年、大阪府出身。大学卒業後、編集職を経て2002年からフリーランスのスポーツライターとして活動する。サッカーは日本代表、Jリーグから第4種まで、カテゴリーを問わず取材。また、バレーボールやビーチバレー、競泳、セパタクローなど数々のスポーツの現場に足を運ぶ。

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