連載:キズナ〜選手と大切な人との物語〜

アルバルク東京・馬場雄大の原点 豪快ダンクは父との特訓から生まれた

矢内由美子

中3夏から始まった“濃密な父子の時間”

中学3年で部活を引退した後、父親とのマンツーマンでの特訓が始まった 【佐野美樹】

 雄大が小学3年生になるときだった。敏春さんが会社を辞めて富山第一高のコーチに就任することになったのである。これにより、馬場家は富山市に引っ越すことになった。その後、雄大はミニバスで全国大会に出場。進学した富山市立奥田中では、全国大会への出場はかなわなかったが、年間364日間の猛練習で技術、体力、メンタル、戦術の基礎を叩き込まれた。

 こうして迎えた中学3年生の夏、奥田中は北信越大会で敗れると、それを区切りに3年生は引退した。最初は厳しい練習から解放されて弾けていた雄大。しかし、その時間はあっという間に終わった。そして訪れたのは、敏春さんとの“最も濃密な父子の時間”だった。

 雄大が当時の様子を懐かしそうに話す。

「卒業後は富山第一高に進学する予定になっていたので、中3で部活を引退してから高校に入るまでの期間を利用して、父に高校の体育館に連れて行ってもらって、マンツーマンで練習したんです。それが、父と一番ガチンコで練習した時期だと思います」

 富山第一高の練習が終わった後の夜8時頃から1、2時間。親子はふたりで体育館に通い、フロアで延々とボールの弾む音を響かせていた。メニューは主にシュート練習。雄大が打つ。敏春さんがリバウンドを拾ってパスを出す。その繰り返しだった。

馬場の綺麗なシュートフォームは父親譲り 【佐野美樹】

 そんなある日のこと。雄大は敏春さんから「お前、ダンクはできるのか?」と聞かれた。

「当時の僕の身長は184センチくらい。手も小さくてボールを持つこともできなかったのですが、反射的に『できるよ』と答えたんです。でも、やってみたらできない(苦笑)。『じゃあ、やれるように練習しろ』。父にそう言われてダンクシュートの練習を始めました」

 敏春さんが教えたダンク習得のための最初のアプローチは、305センチの高さにあるバスケットのリングを触る練習からだった。リングジャンプができると、次はボールを片手で持ちながらシュートの感覚をつかんでいく。ボールは、最初はバレーボール、次に女子用のバスケットボール、そして男子用のボールと、徐々に段階を経ながら大きくしていく。毎日の父子のマンツーマン特訓は、いつしか「ダンク10本で練習終了」が日課となっていった。

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著者プロフィール

北海道生まれ。北海道大卒業後にスポーツニッポン新聞社に入社し、五輪、サッカーなどを担当。06年に退社し、以後フリーランスとして活動。Jリーグ浦和レッズオフィシャルメディア『REDS TOMORROW』編集長を務める。近著に『ザック・ジャパンの流儀』(学研新書)

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