アルバルク東京・馬場雄大の原点 豪快ダンクは父との特訓から生まれた
中3夏から始まった“濃密な父子の時間”
中学3年で部活を引退した後、父親とのマンツーマンでの特訓が始まった 【佐野美樹】
こうして迎えた中学3年生の夏、奥田中は北信越大会で敗れると、それを区切りに3年生は引退した。最初は厳しい練習から解放されて弾けていた雄大。しかし、その時間はあっという間に終わった。そして訪れたのは、敏春さんとの“最も濃密な父子の時間”だった。
雄大が当時の様子を懐かしそうに話す。
「卒業後は富山第一高に進学する予定になっていたので、中3で部活を引退してから高校に入るまでの期間を利用して、父に高校の体育館に連れて行ってもらって、マンツーマンで練習したんです。それが、父と一番ガチンコで練習した時期だと思います」
富山第一高の練習が終わった後の夜8時頃から1、2時間。親子はふたりで体育館に通い、フロアで延々とボールの弾む音を響かせていた。メニューは主にシュート練習。雄大が打つ。敏春さんがリバウンドを拾ってパスを出す。その繰り返しだった。
馬場の綺麗なシュートフォームは父親譲り 【佐野美樹】
「当時の僕の身長は184センチくらい。手も小さくてボールを持つこともできなかったのですが、反射的に『できるよ』と答えたんです。でも、やってみたらできない(苦笑)。『じゃあ、やれるように練習しろ』。父にそう言われてダンクシュートの練習を始めました」
敏春さんが教えたダンク習得のための最初のアプローチは、305センチの高さにあるバスケットのリングを触る練習からだった。リングジャンプができると、次はボールを片手で持ちながらシュートの感覚をつかんでいく。ボールは、最初はバレーボール、次に女子用のバスケットボール、そして男子用のボールと、徐々に段階を経ながら大きくしていく。毎日の父子のマンツーマン特訓は、いつしか「ダンク10本で練習終了」が日課となっていった。