田中浩康、夢のようなプロ野球生活 「エンジョイ」できた横浜での2年間
全力勝負の毎日…悔いはない
14年間の現役生活にピリオドを打ったDeNA田中浩康 【写真:BBM】
──14年間のプロ野球生活を終えられて、率直な気持ちは。
引退することに寂しさはありませんが、悔いがないかと言えば嘘になります。あこがれだったプロ野球の世界にずっとしがみついていたかったというのが本音です。でも1年契約の厳しいプロ野球の世界で、DeNAとの契約は今年まで。今は次のステージに進もうという気持ちですね。
──10月に引退を決意するまでに何を思いましたか。
1軍のスタメンで起用していただいた試合もあったので、葛藤はありました。当然、グラウンドに立つ限りは最後までチームに貢献しようと思っていましたし、その部分は最後までやり抜くことができたと思います。
──他球団でプレーすることは考えましたか。
プレーを続けたいという思いがあったものですから、そういう気持ちもありました。けれど、チームの順位が確定してCS進出の可能性がなくなったタイミングでユニホームを脱ぐことを決め、球団に伝えました。最後はファームで、チームがCSに進み1軍に呼ばれる可能性に備えて準備をしていました。結果的に横須賀スタジアムでのイースタン最終戦が、僕の現役最終戦となりましたね。
──ほかの引退選手のように引退試合をされませんでした。
全力勝負の毎日を過ごしてきたので、その点には未練はないです。まあ、これからいろいろな選手の引退試合を見る機会があるとは思いますが、そのたびに「うらやましいな……」と思うことはあるかもしれませんが(笑)。
「ダグアウトキャプテン」として
今季は「ダグアウトキャプテン」としてチームを支えた(写真中央が田中) 【写真:BBM】
ラミレス監督に肩書きをいただいて、僕自身もチームのみんなに「あきらめずにいこう!」と言っていた手前、最後の試合までチームに貢献するという気持ちはぶれずにやることができました。
──「ダグアウトキャプテン」はどんなポジションでしたか。
経験を踏まえて若手にアドバイスをしてほしい、と監督からは言われていました。若い選手にアドバイスというか、いろいろフランクに話して、それが彼らのプラスになればいいなと。内野陣は一緒にノックを受けていたのでよく話しましたが、案外、投手や捕手とも会話は多かったです。野球のことから、たわいのない話題までさまざまでした。外国人選手ともコミュニケーションを取っていました。
──パットン投手には「オチツイテ」と声をかけられていましたね。
彼が退場した試合ですね(9月14日の巨人戦で死球判定に抗議して退場)。あの場面、僕は審判の方と「退場のコールが早くないですか?」などとやり取りをしていたんです。後日、パットンが僕のところに来て「あれは何をしゃべっていたんだ?」と聞くので、内容を話すと彼が「サンキュー」と。その中で「オチツイテ」という日本語と、その意味を僕が伝えました。
──DeNAでの2年間はいかがでしたか。
一言でいえば「エンジョイ」できました。野球のプレーだけではなく、ファンとのイベントであったり、横浜の街と一体になってチームを作っていくような雰囲気を体感できた。そういう部分は僕の財産になっています。
──チームにもすぐに溶け込まれていたようですね。
温かい雰囲気で迎えていただきました。最初の沖縄キャンプ、ラミレス監督の猛ノックには記憶が飛びそうになりましたよ。それに始まり、筒香(嘉智)キャプテンらが食事に誘ってくれたりして、ありがたかったです。試合前には誕生日会を開いてくれたりもしました。
──移籍1年目、開幕戦の相手が古巣・東京ヤクルト(17年3月31日、神宮)。1打席目で左翼フェンス直撃のヒットを打った姿が印象的でした。
まさか開幕戦でスタメンに抜てきされるとは思っていませんでした。ヤクルトファンからも声援をいただき、忘れられない瞬間でしたね。あれほど選手として幸せな瞬間はなかったです。
──相手の投手は一緒にプレーされていた石川雅規投手でした。
こうしためぐり合わせもプロ野球の醍醐味の一つだと感じました。本当にいい経験でした。
──DeNAでプレーした2年間で、印象深い場面はありますか。
回数は多くありませんが、横浜スタジアムのヒーローインタビューに立つことができました。そこから見たスタンドのファンの姿が印象に残っていますね。あの場所で「I☆(LOVE)YOKOHAMA!」のセリフを叫ぶとは、夢にも思っていなかったですから。