2009年 史上最も長丁場のシーズン 前編 シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

「広報というよりも人間として」ソリさんから学んだ

当時広報を担当していた遠藤は「広報というよりも人間として、ソリさんからはいろいろ学ばせていただきました」と振り替える 【宇都宮徹壱】

 09年の湘南を振り返る前に、まずは前年までの反町が置かれた状況を確認しておく必要がある。01年にJ2新潟の監督に36歳で就任した反町は、03年にJ2優勝とJ1昇格を達成。その実績を買われて06年5月には、2年後の北京五輪を目指すU−21日本代表監督とイビチャ・オシム率いるA代表のコーチに就任する。しかし肝心の北京五輪では、グループリーグ3戦全敗。指導者として味わう、初めての挫折であった。

「北京五輪が終わって、報告書を9月くらいまで書いていたのかな。その後オシムさんが倒れて、体制も変わったからJFAの仕事も終わって、12月くらいまではずっと引きこもりみたいな生活をしていた。外に出ると、いろいろ言われるしさ(苦笑)。そうしたらカミさんに『どこか外国にでも行ってきたら?』って言われて。それで以前から気になっていた、ドイツのホッフェンハイムの練習に1カ月行ったんだ」

 これと前後して、当時湘南の強化部長だった大倉智より、監督就任のオファーが届く。最初は断っていたものの、大倉が何度も熱心に声をかけてくれたこと、自身も湘南のOBであったこと、そして何より、前年5位だったチームに自分が考えるスタイルを植え付けて昇格させたい──。そんな、指導者特有の野心が背中を押した。

「ただし、あのサッカーをやるためには、右のMFとセンターFWが足りてなかった。右のMFについては、寺川能人をトライアウトで見つけた。当時34歳だったけど、新潟で一緒にやってきたから実力は分かっていたしね。あとはセンターFWだけど、これが難しかった。開幕直前になって、ようやく見つけたのが練習参加していた田原豊。加入発表が開幕前日で、次の日にスタメンで出した。これでいいスタートが切れると思ったね」

 09年の湘南の戦いについては、このあと振り返るとして、ここでオフ・ザ・ピッチの話に触れておきたい。反町が監督として湘南に戻ってきて、変化したことのひとつに「記者の囲み取材が立ちから座りになった」というものがある。教えてくれたのは、湘南で長年にわたり広報を担当している遠藤さちえである。

「ソリさんから『立ちだとメモをとるのに大変だから、記者さんに椅子を用意しろ』って言われたんですね。私に指示するだけでなくて、ソリさんも一緒に運んでくれたんですよ。メディアの方々やスポンサー、サポーターなどへの配慮を常に忘れない方でした。そういえば一度、背もたれのある椅子をソリさんに、ない椅子をメディアの方に用意したら、すごく怒られたこともありました(苦笑)。そんな感じで私は、広報というよりも人間として、ソリさんからはいろいろ学ばせていただきましたね」

<後編につづく。文中敬称略>

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著者プロフィール

宇都宮徹壱

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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