2009年 史上最も長丁場のシーズン 前編 シリーズ 証言でつづる「Jリーグ25周年」

宇都宮徹壱

「湘南スタイル」の源流はホッフェンハイム?

「湘南スタイル」でルヴァンカップを制した湘南ベルマーレ 【宇都宮徹壱】

「湘南スタイルというものは、ただ縦に速いだけでない。しっかり身体を張って相手のシュートをブロックするということを含めて、もっと原則的なことだと思っています」──。10月27日に行われたルヴァンカップ決勝。優勝した湘南ベルマーレの曹貴裁(チョウ・キジェ)監督は、試合後の会見でこのように述べている。

 いつ、誰が命名したのかは定かではない、湘南スタイル。かつてはベルマーレ平塚時代に、両サイドバックが同時に攻撃参加する極端な攻撃サッカーが話題を呼び、「湘南の暴れん坊」と呼ばれた時代もあった。しかし1999年に親会社のフジタが経営悪化のため撤退し、主力選手がことごとく流出したことで、この年にJ2降格が決定。その後は明確なスタイルを見いだせないまま、低迷の時代が続くこととなった。変化が起こったのは、降格から10年目の2009年。この年、湘南はクラブOBの反町康治を新監督に迎える。

「監督就任のオファーをもらって、それで湘南の試合をDVDでたくさん見たんだけど『あー、こりゃだめだな』と思った。何がだめって、特徴というものがまるでないんだもん。そこで思ったのが、その年にドイツで見たホッフェンハイム。ラルフ・ラングニックが率いていた時で、2部から上がったばかりなのにバイエルンとも堂々渡り合っていたんだよね。4−3−3でインテンシティーが高くて、真ん中からゴールに向かって直線的に攻めていくスタイル。それを湘南でやろうと思いついたんだ」

 湘南スタイルが明確な姿を現し出したのは、曹の前任者である反町が09年にホッフェンハイムのイメージを持ち込んだ頃からだ。そして就任1年目にして、反町監督率いる湘南は、その年のJ2を3位でフィニッシュし、実に11年ぶりにJ1への帰還を果たすこととなる。もっとも、この年のJ2の戦いは容易ではなかった。なぜなら51節という、Jリーグ史上最も長丁場のリーグ戦となったからだ。

 Jリーグ開幕以来の25シーズンで、1チーム当たりの試合数が最も多かった年は95年で、ファースト&セカンドステージで26節ずつ行われている。しかし09年のJ2は1ステージ制での51節であり、これが最多記録であった。09年のJ2は、前年から3チーム増えて18チームとなったものの、レギュレーションは前年同様に3回戦総当たり。結果、前年より144試合増の459試合が行われることになった。1チームあたり9試合増。湘南の11年ぶりのJ1昇格の戦いは、過密日程との戦いでもあった。

1シーズン「51節」の意味するところ

2009年は51試合の長丁場を戦い抜き、J1昇格を果たした 【写真:アフロスポーツ】

「Jリーグ25周年」を、当事者たちの証言に基づきながら振り返る当連載。第22回となる今回は、09年(平成21年)をピックアップする。自民党から民主党への政権交代が実現したこの年、J1リーグは鹿島アントラーズが史上初となる3連覇を達成。またオリジナル10のひとつで、前身の古河電工時代から名門の誉高いジェフユナイテッド千葉が、この年は最下位に終わってJ2に降格している。

 一方J2では、前年まで実施されていた、J1・J2入れ替え戦が廃止。以後、12年にJ1昇格プレーオフがスタートするまでの3シーズン、J2の3位までが無条件でJ1に昇格している。そして前述したとおり、この年のJ2は51節で459試合が行われた。現在のJ2は22チームによる2回戦総当たりの42節で462試合。全体の試合数では現在のほうがわずかに上回るが、1チームにならすと09年は今より9試合多かったことになる。

「たとえばイングランド2部のフットボールリーグ・チャンピオンシップは、24チームの表裏で46節。その上のプレミアリーグはヨーロッパの大会があるから、20チームによる38節になっていますよね。カップ戦のことも考えると、18から20チームが適正だと僕は思います。だから(09年のJ2は)18チームになったのに、3回戦総当たりの51節になったと聞いて『ええっ?』って思いましたね」

 そう語るのは、当時湘南の事業部に所属していた長岡茂。長岡はJリーグ開幕時の鹿島を皮切りに、アルビレックス新潟、湘南、サガン鳥栖、そしてギラヴァンツ北九州と、5つのJクラブでフロント業務に携わった経験を持つ。これまでJ1とJ2のさまざまな現場を渡り歩いてきたが、09年のシーズンは「とにかく大変だった」と記憶している。

「1年は52週しかなくて、そのうち3カ月はお休みですから、11週を引いて41週。それで51節となると、どう考えても水曜日開催が増えるわけですよ。しかもこの時のJ2って、北は札幌から南は熊本まで遠征しないといけない。湘南はチームバスもなくて、スポンサーの神田交通さんのバスをチャーターして移動していたんですよ。経費の都合上、J1クラブのようにチームバスは確保できないし、専任ドライバーもクラブでは雇えない。バスで行ける場所にも限界があるし、余計に宿泊する必要も出てくる。経費の問題もそうですが、試合翌日の選手のリカバリーで現場も大変だったと思いますよ」

 09年のJ2が、いかに大変なシーズンであったか、これである程度はイメージできただろう。本稿では、Jリーグ史上最も長丁場で過酷なシーズンとなった09年のJ2を、この年に3位で昇格した湘南の視点から振り返ることにしたい。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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