原口元気「僕も3人を追う立場」 代表“準主力”からの脱出へ燃やす闘争心

元川悦子

ハノーファー移籍後はケガなどで出遅れ

ハノーファー移籍直後はケガなどもあり、コンスタントにピッチに立てずに苦しんだ 【写真:アフロ】

 世界を震撼させたベルギー戦の一撃に加え、すさまじいハードワークと走力を示したロシア(W杯)の後、原口は新天地・ハノーファーへ移籍した。かつて清武弘嗣がつけて異彩を放った背番号10を自ら志願し、清武超えのインパクトを残すべく新シーズンを迎えるつもりだったが、開幕直前の8月頭に太ももを負傷。いきなり出遅れを強いられた。

「練習の45分くらい前まで車の手続きとかをやらされていて、自分の準備が十分できていなかった。案の定、筋肉系(のけが)をやってしまった」と本人も述懐したが、このけがの影響で8月25日のドイツ・ブンデスリーガ開幕のブレーメン戦のスタメンから外れ、9月末までコンスタントにピッチに立てずに苦しんだ。

「(アンドレ・ブライテンライター)監督からも『100%でやることがお前のよさだ』と言われていて、それができない時は使えないという話もされている」と原口の中では出番が得られない理由が明確になっていた。

 森保ジャパンの2度目の活動だった10月の日本代表2連戦に招集されたのは、この出遅れを取り戻し、少しずつ復調に向かっていた頃。ただ、9月のコスタリカ戦で中島・南野・堂安の若き2列目トリオが強烈なインパクトを残したことから、背番号8は「主力に準じる存在」という微妙な立ち位置を余儀なくされた。10月シリーズは最初のパナマ戦で先発したものの、メーンだったウルグアイ戦では後半途中出場。森保体制3戦4発の南野を筆頭に、彼らのすさまじい勢いを目の当たりにさせられた。原口はあらためて目が覚めた気分になったという。

「こんな状況、ロシアの時には誰も想像していなかったでしょ。でもこれは自分にとってすごくいいこと。例え代表に入れなかったとしても、このくらい競争があった方がいい。これがフェアな日本代表だから」とウルグアイ戦後の彼は不敵な笑みを浮かべ、奮起を誓ってドイツに戻っていった。

「スタートで出れないのも内心、悔しい」

 そして1カ月後。ハノーファーでは公式戦4試合にフル出場。11月9日のボルフスブルク戦こそ先発から外れ、終盤のみのプレーとなったが、「コンディションが上がったのはよかった。ある程度、連戦もやったし、久しぶりにブンデス(1部)を味わった」とヘルタ・ベルリンでフル稼働していた2年前以来の欧州トップリーグでの経験を糧に、代表に凱旋(がいせん)したつもりだった。

 けれども、森保監督の序列は不変。2列目は若手トリオがファーストチョイスのままだった。その厳然たる事実を突きつけられたのがベネズエラ戦だ。ウルグアイ戦に続いてベンチスタートを強いられた背番号8はジョーカーとして違いを示すしかない。後半23分から中島に代わって左サイドに入った時には、中へ中へと入り込んでいく背番号10とは異なるパターンの崩しで、存在価値を再認識させようとした。

「外から仕掛けたかった。相手もある程度、疲れていて、自分についてこれないことは分かっていたので、シンプルな勝負でも勝算があると思って外に開いてましたけどね。自分としては一番いいものを探したし、あれが正解かなと考えてプレーしたけど、結果が出ないのは1つ悔しかった。僕も3人を追う立場になっているし、スタートで出れないのも内心、悔しいですよ」と本人は複雑な感情を押し殺しつつ、試合を分析するしかなかった。

アジアカップでは若い世代との融合が不可欠

原口(写真右)と若い世代の融合がもたらす森保ジャパン攻撃陣の変貌に大きな期待を寄せたい 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

 ヴァイッド・ハリルホジッチ監督体制の代表で絶対的主力と位置付けられ、アジア最終予選では4戦連続ゴールという新記録を達成し、ロシアでも大黒柱の1人に君臨した男にとって、もちろん現状は芳しいものではない。納得できない思いや焦燥感を覚えることもあるはずだ。だが、それを自分の中で消化し、常にチームの勝利を第一に考え、献身的に振る舞えるようになったところが原口元気の大きな成長だ。最終予選でロシアの大舞台でベンチから自分たちをサポートし、一体感を作ってくれた本田圭佑や岡崎慎司、香川真司らの姿が脳裏に焼き付いているからこそ、そういう行動を取れるのだろう。

「彼らを間近に見てきた部分がありますし、どうやったら若手が気持ちよくプレーできるかというのも見てきた。特に何かをしてもらったわけじゃないけれど、ホントに苦しい時に引っ張ってくれた。そういういい見本がいたのは大きい」と彼はしみじみと語っていた。代表キャリア7年目を迎えた27歳のアタッカーは自らの立ち位置がこれまで大きく異なることを自覚している。それは自身にも代表にとってもプラス要素と言っていい。

 人間的成熟がプレーにも生かされれば理想的だ。森保監督も9〜11月の活動では土台作りを進めるため、あえて攻撃カルテットを固定してきたのだろうが、アジアカップ7試合を戦い抜こうと思うなら、原口を彼らと効果的に融合させていくことが必要不可欠だ。ここまでは中島と交代するケースがほとんどだったが、場合によっては原口が右に入って、両サイドで2人が相手を攻略するパターンがあってもいい。堂安や南野とも連係を深めていけば、もっと多彩な攻撃バリエーションを繰り出せるはず。そうなるための時間を原口により多く与えてほしいものである。

 本人はこういった筆者の意見を制するように「まだ(一緒にやる)時間はありますから、見てみましょう」と大きく構えている。その精神的な余裕をアジアカップ、先々の代表でも持ち続けることができれば、若い世代との融合もうまくいくだろうし、想像以上の化学変化も起きるかもしれない。周りを統率し、コントロールできる存在になりつつある原口の今後、そして森保ジャパン攻撃陣の変貌に大きな期待を寄せたい。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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