予想上回った“金6個”のアジア大会 強化委員幹部3人が語る東京への強化策

月刊陸上競技

マラソンは3人に合格点 長距離は“ペース走文化”改革が必要

アジア大会のマラソンに関しては男子が金メダルと4位、女子が銀メダルと、3人には「合格点」を与える河野ディレクター 【写真:月刊陸上競技】

──次に、河野さんには長距離・マラソンの評価をお願いします。

河野ディレクター 先にマラソンからいきます。男子の井上大仁君(MHPS)は、アジアで金メダルを取ることを大前提にこの大会を選んだということで、戦前から「彼が金を取ったらひと皮むけるだろうな」と高い期待を持って見ていました。勝とうと思ってレースに臨んで、勝ち切ったというのは、大きな自信になるのではないでしょうか。ロンドン世界選手権の失敗(26位)を修正して、「アジア・チャンピオン」の勲章を得た井上陣営には、東京五輪を見据えた戦略がうかがえます。

──なにしろ男子マラソンの金メダルは1986年のソウル大会以来です。

河野ディレクター アジア大会は、勝ちにいってもなかなか勝てないレースが続きました。格下相手でも、しっかり自分のレースをして我慢すべきところは我慢して、勝負すべきところは勝負する、ということができなかった。今回の井上君のレースはエポックメイキングになると思います。

──女子は32歳の野上恵子選手(十八銀行)が2位争いを制しました。

河野ディレクター 野上さんは春からトラックレースで自己新を連発し、調子は良かったのですが、6月にちょっと脚がおかしくなって、練習が2〜3週間ジョグだけになる時期があったのです。最初はそれを心配していたのですが、立て直しの過程をコーチがずっと報告してくれて、「これぐらい走れるようになりました」という動画まで送ってくれていました。最終的には「これならある程度行くだろう」と思って見ていました。
 レース後、「なぜ(優勝した)ローズ・チェリモ(バーレーン)に付いていけなかったのか?」と聞いたら、相手は世界チャンピオンですから「ちゅうちょした」と言うのですね。結果論ですが、あそこでチェリモに付いていってもおもしろかった。記録的なものはまだないですけど、しっかりとメダルを取るレースをしていますから、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)のような勝負が優先されるレースでは侮れない選手になると思います。

──男子の園田隼選手(黒崎播磨)は4位、女子の田中華絵選手(資生堂)は残念ながら9位に終わりました。

河野ディレクター マラソンに関しては、男子の2人と野上さんは合格点ですが、田中さんは体調の経過報告に精度が欠けていたので、パーソナルコーチに苦言を呈さざるを得なくなりました。東京五輪に向けての補欠の解除の仕方には参考になったのですが、そのあたりのことは現場に何度も話していたことなのです。それでも精度を欠いたのは不本意ですし、五輪では早めに故障リスクの芽を摘んでいきたいので、ここであえて言っておこうと思います。
 故障したらすぐに外す、という意味ではありません。今回の田中さんだったら、まだMGCの資格を取っていないのに、無理して出て故障が長引いたら、これからの負担が大きくなってきます。戦えないのが分かっているのに出ることが、本人にも代表チームにもマイナスになる場合がある。そういう判断をスタッフがしっかりすべきだったのでは、ということです。

──男子の長距離種目は3000m障害のみでしたが、塩尻和也選手(順天堂大)が銅メダルに食い込みました。

河野ディレクター 自分がやっていた種目ということもあって3000m障害は私がサポートしたのですが、塩尻君だけでなく山口浩勢君(愛三工業)も調子が良くて、山口君はメダルを狙っていった結果の打ち上がり(9位)でした。塩尻君は、私が言うのも何ですが、きちんと3000m障害をやれば日本記録(8分18秒93、2003年)に届くと思います。これから何を専門にするか、です。

──10000mの可能性はどうなんですか?

河野ディレクター 彼は能力の高い選手ですが、ラストのスピードが課題なので、3000m障害をやりながらそこを鍛えていけば、のちのち10000mにも良い効果が出ると思います。ハードルを跳ぶことで筋力なり、動きの変化にも好影響を与えて、それが先々マラソンにもつながると思います。心肺機能は抜群です。

──女子長距離はメダルに届きませんでした。

河野ディレクター 女子の5000m、10000mはもっと期待していたのですが……。10000mの堀優花さん(パナソニック)は仕上がりがとても良かったのに、何であんなレースしかできなかったのか、われわれもビックリしました。1人で行っても自己新が出るような練習をしていたのです。ああいう緊張感のある場面に対応しきれなかったのかな、ということぐらいしか考えられませんね。
 5000mの鍋島莉奈さん(日本郵政グループ)も同じです。勝とうと思って自分のレースを組み立てる戦略で臨み、どっちみちラストでやられるから速いペースにしようと思ったら、逆にもっと速いペースにやられて、急にロックがかかったようになりました。女子長距離はレースへの対応力がまだ乏しいので、これは苦い経験として、しっかり次につなげていければいいのかなと考えています。

──男子の5000m、10000mはアジア大会史上初めて派遣ゼロでした。

河野ディレクター 派遣設定記録を下げれば出られたのですが、上のカテゴリーのままにしたので、誰も破れませんでした。それが現状だという事実を踏まえて、男子長距離は根本から考えていかないといけません。これは私が思っていることなのですが、今の日本の長距離は“ペース走文化”なのです。ペースが作られた“記録会文化”というか。イーブンペースで行って記録を出すレースは世界にないので、そういったところも変えていかないといけない。これは関係者に再三再四言っています。
 ともかく、来年のドーハ(世界選手権)から五輪につなげていかないと、東京(五輪)にも出場者がいなくなってしまいます。今、トラックをやっている選手がもっと成長してきてくれることを期待しています。

コーチ陣の連携にSNSを活用した

リオ五輪男子50km競歩で、荒井広宙(左)の失格回避に繋げた経験が、アジア大会のマラソンの時にも生きた 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

──山崎さんの話にも河野さんの話にも、強化スタッフとパーソナルコーチとの関わり方がチラッと出ましたが、強化委員長はそのあたりをどう考えていますか?

麻場委員長 情報の共有、連携というのは、大きなテーマだと思っています。ジャカルタでも大会の運営には大変なところが多々あって、例えばタイムテーブルが突然変わったり、コールの場所が変更になったり。その中でわれわれが大きなストレスなく競技に集中できたのは、陸連事務局から渉外担当でデレゲーション(代表団)入りした平野(了)さんや岩瀧(一生)さんが、大会本部に張り付いて常に情報を流してくれたからなのです。最近はSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)という便利なツールがあるので、誰かがそういう情報を入手したら、それぞれの持ち場で判断して強化コーチ、パーソナルコーチにパッと流す。そういう流れがうまく稼働したのは、今回の一番の収穫だと思います。
 代表チームなので、パーソナルコーチとの関わりについては、ある一定のところで線引きしないといけないのは確かなのですが、しかしそうやっていい関わりを持ちながらやっていければいい結果につながる。今回、そういう手応えを持ちました。

──それは今までになかった試みですか?

麻場委員長 リオ五輪(2016年)の時も、スタッフの皆さんには「情報共有をしっかりしましょう」と話しました。その成果の1つが、男子50km競歩で荒井広宙選手(自衛隊体育学校)の失格を回避して銅メダルにつなげたことです。テレビの解説で現地に行っていた山崎さんが映像を見ていて、われわれに連絡をくれたところから、あのメダル獲得のプロセスは始まったのです。われわれはゴール近くにいて、エバン・ダンフィー選手(カナダ)と荒井選手との接触現場を見ていませんでした。

山崎ディレクター 私は映像で荒井選手とカナダの選手が接触する場面を見て、「絶対にカナダはプロテスト(抗議)するから」とチームスタッフにメッセンジャーで送ったのです。荒井選手は自分からぶつかっていませんから、そうしたら日本側も抗議しないといけない。それには競技終了後30分以内という規則があるので、時間が大事だと思ったのです。

麻場委員長 それが現地では午前中の出来事で、その日の夜に男子4×100mリレーで銀メダルです。そういう流れというのは、関係ないようであるんですよね。

河野ディレクター そして今回のアジア大会では、男子マラソンの井上君がゴール前の直線でバーレーンの選手と競って、インから抜こうとした相手と接触した。そのシーンを日本のテレビで見ていた陸連事務局員がすぐに「相手が内側から無理に来ている」と正面から撮影された動画を送ってくれました。プロテストされるだろうな、と読んでいたら案の定やってきました。

麻場委員長 実は、われわれもプロテストしていたのです。

河野ディレクター 強化委員長が「プロテストをやり返そうよ」と言うから、「なんで?」と聞いたら、「園田君が3番に繰り上がるかもしれない」と。なるほど、と思いました。

山崎ディレクター もちろん井上君を守ろう、という意味が先にありますよね。

──リオでの経験がジャカルタで生きましたね。

河野ディレクター 国内にも「チームジャパン」のメンバーがいて、現地に的確な情報を流してもらったということですね。

麻場委員長 今後はワールドランキング制度になるわけですから、そうしたネットワークを生かして、どういう試合がある、どんな試合に出たらポイントが稼げるなどを含めて、いろんな情報交換、情報共有ができるような体制になると、いい成果を挙げられるのではないかと思います。

東京の暑熱対策が必須の競歩

──勝木隼人選手(自衛隊体育学校)が男子50kmで金メダルを取った競歩を忘れてはいけませんね。男子20kmでは山西利和選手(愛知製鋼)が銀、女子20kmでも岡田久美子選手(ビックカメラ)が銅メダルを獲得しています。

麻場委員長 競歩は私がお話しします。競歩については強化の体制が確立していますので、今後もこの流れを継承し、これまでやってきたことの集大成を、この2年間かけてやっていただけたらと思います。今は誰が出てきてもそれなりの結果を出せるレベルに上がってきていますし、山西君のような若い力も出てきています。この流れをあえて変えていく必要はないと思いますね。50kmの丸尾知司君(愛知製鋼)は、あれだけ暑熱対策をしても暑さにやられました。東京五輪はジャカルタ以上の過酷な気象条件になりますから、本当にサバイバルレースになるでしょうね。

山崎ディレクター 勝木君も給水直後に吐いていましたね。私たちが思っている以上に過酷で、あの場にいて「東京ではどうなるんだ」と思いましたよ。

麻場委員長 そういう意味で、東京の暑熱環境にどう対応するか。そこに絞り込んでいくことが、競歩では重要になってきます。シミュレーションとしては、来年のドーハ世界選手権があります。

河野ディレクター 暑熱対策のシミュレーションとして、ドーハ世界選手権がどれぐらいの意味を持つか読めない部分はあるのですが、パフォーマンスをしっかり発揮して東京五輪につなげていく。ワールドランキング制度を含めて、五輪を狙うには絶対にはずせない大会になると思います。MGCがあるので、マラソンだけはそこからはずれるわけですが。

マイルリレーの強化も絶対に必要

アジア大会マイルリレーに参加した飯塚翔太(右)と小池祐貴(左から2番目)を評価したいと話す 【写真:森田直樹/アフロスポーツ】

山崎ディレクター 先ほど河野さんが長距離・マラソンのところでかなり個人の名を挙げて説明されたので、私もトラック&フィールドで触れたい選手がいるのですが……。

──お願いします。

山崎ディレクター 男子の4継は「良かったね」という高い評価なのですが、男子短距離としてよくがんばってくれたのが、200mとマイルリレーに出た飯塚翔太君(ミズノ)です。本当だったら4継に出てもいいわけです。リオ五輪の銀メダルメンバーですから。今回、小池君もマイルリレーでしたが、やはり4継でも良かった。しかし、マイルも何としても東京五輪に出場しないといけない、という男子短距離陣の戦略で、今回は2人ともマイルリレーで走ってくれて、特に飯塚君は44秒6台のラップで貢献してくれました。このあたりはぜひ強調したいです。マイルリレーも2004年のアテネ五輪では4位に入賞している種目です。みんなの目が4継にばかり向いていますけど、トータルでがんばるという方針の中で、マイルも絶対に必要なのです。

──近ごろ元気がないロングスプリント陣の強化策もお聞きしたいところですが……。

麻場委員長 それは今、仕掛けを考えていますので、今後お話しできる機会があろうかと思います。

山崎ディレクター あと1人、男子走高跳の戸邉直人君(つくばツインピークス)の名を挙げさせてもらいます。金メダルは取れなかったですが、今季はダイヤモンドリーグ(DL)のファイナルに進出した、というシーズンの流れの中で、跳躍チームのスタッフと意思疎通を図りながら、短期間の合宿を頻繁に行っていました。その強化の仕方も良かったのではないでしょうか。仮のワールドランキング・ポイントは今、日本選手で最高位ですから、来年の世界選手権はもちろん、東京五輪に一番近い位置にいると思います。

麻場委員長 さらにつけ加えるなら、私たちの予想をいい意味で裏切ってくれた男子200mの小池君と棒高跳の山本聖途君(トヨタ自動車)。山本君には、自身も棒高跳でキャリアがある小林史明コーチと、計画的にやってきた成果が出ました。小池君は、走幅跳で実績のある臼井淳一コーチから指導を受けるようになって、新たな展望が開けたというか、自分でも気づいていなかった才能を臼井コーチに引き出してもらった。2人ともそういう過程が成果としてうまく表れたのだと思っています。

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著者プロフィール

「主役は選手だ」を掲げ、日本全国から海外まであらゆる情報を網羅した陸上競技専門誌。トップ選手や強豪チームのトレーニング紹介や、連続写真を活用した技術解説などハウツーも充実。(一社)日本実業団連合、(公財)日本学生陸上競技連合、(公財)日本高体連陸上競技専門部、(公財)日本中体連陸上競技部の機関誌。

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