タイと日本のろう学校の“橋渡し役”に 相原豊がサッカースクールで叶えたい夢
工夫してコミュニケーションを図る子どもたち
障害者と健常者の子どもたちは、大人が何か伝えなくても、工夫してコミュニケーションを図ろうとする 【細江克弥】
タイのろう学校の子どもたちを日本に連れて行った第1回は、予算の工面と受け入れ先の手配に苦労し、第2回はタイで開催したものの、日本のろう学校から来た子どもは5人しかいなかった。スポンサー獲得のためにタイの日本法人に飛び込み営業をかけ、「笑いで押し切るプレゼン」を繰り返した。日本の学校関係者や親御さんには活動の意義を説明し、地道なアピールを続けた。
その結果、16年の日本開催ではFC東京の協力を得てイベントの開催に成功し、17年のタイ開催では12社ものスポンサーが集まり、日本だけでなく、ミャンマーのろう学校も招待することができた。そして今年、通算3度目となる日本遠征では、FC東京に加えてジェフユナイテッド千葉でもイベントを開催した。
「ガリガリ君」でおなじみの赤城乳業など複数企業が相原のスクールを支援している 【細江克弥】
健常者の子どもが「ヘイ!」とパスを要求しても、ろう学校の子どもたちには聞こえない。すると子どもたちは、大人が何かを伝えなくても、勝手に工夫しようとする。例えば、ちょっとオーバーなアイコンタクトとジェスチャーでコミュニケーションを成立させる。外から見ると“静か”だが、中に入ってみると子どもたちは子どもたちらしく、やはり賑やかだ。
「回数を重ねると、タイから日本に2回行った子、日本からタイに2回来た子が出てくる。そうなると、明らかに変わるよね。次元の違うコミュニケーションになる。初めてFC東京に行った年、日本の子どもたちの親御さんがこのイベントの意味をすごく感じてくれて、それがうれしかった。資金集めも手配も引率も大変だけれど、やる意味はあるのかなって」
本当の意味で「サッカーを文化にする」ために
「障害を諦める理由にしてほしくない」と相原。子どもの頃から変わらないそのバイタリティーは加速するばかりだ 【細江克弥】
「やっぱり、障害を諦める理由にしてほしくないよね。『障害がある私を認めてください』じゃなくて、認めさせるくらいの自分にならなきゃいけないと思うから。かわいそうな障害者、頑張ってる障害者じゃなくて、すごいなと思ってもらえる人になってほしい。サッカーは、何かが足りなくてもできるでしょ。俺なんて、左手だけじゃなく右足も“オモチャ”みたいなものだから(笑)」
子どもの頃から変わらないバイタリティーは、加速するばかりだ。イベントの規模をさらに拡大し、いつか、ろう学校のアジアカップを開催したい。その一方で、現在は健常者と障害者が選手として混在するプロフットサルクラブの創設に動いており、来年からのトップリーグ参戦に向けて、着々と準備が進んでいる。
「夢を諦めるな」と口にするだけでなく、実際に障害者がプロになれる道筋を作りたい。加えて、来年40歳になる自分も“選手”として現役復帰しようとたくらんでいるというから、旧知の間柄としては「相変わらずバカだな」と言いたくなる。
「だって、まだまだ俺も目立ちたいんだもん(笑)」
日本サッカーが世界と肩を並べるための必要条件として、よく「サッカーを文化にする」ことの重要性が説かれる。本当の意味でサッカーを文化にするためには、より多くの選手が世界のトップリーグで活躍し、子どもたちに夢を持ってもらうことも必要だろう。Jリーグのクラブがアジアや世界の舞台で勝つことも、大きな刺激になるかもしれない。
でも、たぶん、それだけでは足りない。サッカーがうまくてもヘタでも、プロでもアマチュアでも、健常者でも障害者でも、日本でも海外でも、ユタカのように好きなサッカーと真剣に向き合い、「自分に何ができるか」を考えて行動に移している日本人サッカーバカ(リスペクトを込めて)は意外と多く存在する。その動きを見逃すことなく、彼らが起こすムーブメントに積極的に参加し、応援し、動きを拡大しようとすることは、サッカーを日本の文化にするためにとても重要なことであると思う。