大谷翔平、DL入り判断の裏側 治療法の判断が短時間だった理由

丹羽政善

右ひじ側副靭帯損傷で10日間のDL入りとなった大谷翔平。最後の登板となった現地時間6月7日のロイヤルズ戦ではマメの影響から4回で降板していた 【写真は共同】

 その日、朝7時半にミネアポリスの空港に着くと、レンタカーでアイオワ州のデモインに向かった。車で約4時間の距離。大谷翔平(エンゼルス)が10日間の故障者リスト(DL)入りしたニュースは、その車の中で知った。

 もしも大谷が、ミネアポリスで会見を開くなら、そのまま引き返さなければならない。遠征には帯同していないと聞いて、予定通りデモインに向かったが、取材後、ミネアポリスにとんぼ返り。

 慌ただしい1日になった。1日の大半は車の中で過ごしたことになるが、運転しながら、田中将大(ヤンキース)とダルビッシュ有(カブス/当時レンジャーズ)の右ひじ側副靭帯損傷が発覚したときのことを思い出していた。

田中将大は復帰まで2カ月以上

 田中が前腕部に張りを訴えたのは、2014年7月8日(現地時間)の試合後。翌日、ヤンキースのクラブハウスへ行くと、そこに田中の姿はなかった。その頃彼は、遠征先のクリーブランドからニューヨークへ戻り、MRI検査(磁気共鳴画像装置)を受けていたのだ。

 翌10日、田中はスポーツ専門医の学会のためシアトルに滞在していたチームドクターの元へ飛ぶ。学会には、入団交渉前にロサンゼルスで身体検査を行ったドジャースのチームドクターも出席しており、彼らを含む3人の専門家に診断を仰いだところ、いずれも右ひじ側副靭帯の部分断裂という所見だった。

 ただ、当時の情報では、断裂の比率が全体の10%以下。手術が必要なほどではなく、ニューヨークから電話会見に応じたブライアン・キャッシュマンGM(ゼネラルマネージャー)も、「復帰まで、6週間程度」と軽症を強調している。

 実際は2カ月以上かかったわけだが、14日には自身の血液から採取した血小板を使って組織の修復や再生を図る「PRP注射」という治療を行い、早々に手術回避を決めている。

異変から11日後に手術したダル

 それからおよそ8カ月後の3月7日早朝、記者の前に現れたレンジャーズのジョン・ダニエルズGM(ゼネラルマネージャー)は、険しい表情だった。

「ダルビッシュのMRIの結果は、右ひじ側副靭帯の損傷だった」

 2日前、ダルビッシュはオープン戦に登板。2イニングを投げる予定だったが、右上腕に張りを感じ、1回で降板。翌6日の午後に検査を受けていた。そして7日朝に発表があった。

 3日後、ダルビッシュはセカンドオピニオンを求め、フェニックスからニューヨークへ。そこでメッツのチームドクターの診察を受けたが、意見は変わらなかった。

 ダルビッシュの場合、部分断裂ではなく、「すり減っている」というのが本人の表現。

 ただ、遅かれ早かれ、手術が必要になるとの見方もあり、それならばとダルビッシュは手術を決断し、異変から11日後にメスを入れた。

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著者プロフィール

1967年、愛知県生まれ。立教大学経済学部卒業。出版社に勤務の後、95年秋に渡米。インディアナ州立大学スポーツマネージメント学部卒業。シアトルに居を構え、MLB、NBAなど現地のスポーツを精力的に取材し、コラムや記事の配信を行う。3月24日、日本経済新聞出版社より、「イチロー・フィールド」(野球を超えた人生哲学)を上梓する。

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