【全日本プロレス】「ノアの聖地」ラストを飾った全日本 ジェイクらが新ユニット結成へ
「ノアの聖地」の最後を飾ることになった全日本
「ノアの聖地」と呼ばれたディファ有明のプロレス最終興行を飾った全日本プロレス 【写真:SHUHEI YOKOTA】
ディファ有明は、1980年代後半から90年代前半のバブル時代の象徴であったイベント施設「MZA有明」を改名・改装し、2000年に格闘技アリーナとしてオープン。そのこけら落としとして、同年7月1日に初興行を行ったのが、当時、選手・スタッフの大量離脱による分裂危機にあえいでいた全日本であった。
全日本は1999年1月31日に、創始者であり、象徴であったジャイアント馬場社長が死去。三沢光晴が新社長に就任したが、馬場さんの妻であった馬場元子夫人との対立が激化。00年6月、社長を辞任した三沢が、全日本の選手・スタッフを引き連れて全日本を退団し、新団体プロレスリング・ノアを設立した。その際、新たに事務所と道場をこのディファ有明内に構え、旗揚げ戦も8月5日&6日に同所で行ったが、選手総勢24人(+練習生1人)で華々しく船出を飾ったノアに対し、全日本は残留した選手はわずか4人。この大ピンチの状況の中、ディファ初興行のメインを飾ったのが、川田利明vs.渕正信という、当時の全日本の提供できる最高かつ唯一の切り札カードであった。
その後、ディファが「ノアの聖地」として認知されるのとは対照的に、全日本はディファから撤退。03年2月2日にZERO−ONE(現ZERO1)vs.全日本の対抗戦が勃発した際も、ZERO−ONEの大会に武藤敬司社長(当時)ら全日本の所属選手が駆けつけ、リング上で両団体の選手たちがにらみ合うという事件が勃発したのだが、この時、プロレスファンの心を揺さぶった事柄が2つ。新日本プロレスファン的には、武藤と橋本真也というかつての闘魂三銃士の再会であり、全日本プロレスファン的には、「ノアの聖地」に全日本のバスが駐車されているあり得なさという、どちらも90年代のプロレス黄金期に闘魂三銃士&四天王に熱狂したファンの、ノスタルジーと胸の痛みをくすぐるものであった。
その後もディファ有明は、複数団体参加のジュニアタッグトーナメント「ディファカップ」の開催や、新日本プロレスの「大プロレス祭り」の会場などとして、数多くの団体やイベントに使用されてきたが、16年12月に、18年6月末での営業終了を発表。ノアの事務所・道場も17年1月に移転した。
全日本とノア。18年
前であれば絶対に交わることはないと思われていた両団体だが、いまやノア旗揚げ戦のメインで主役に躍り出た秋山準が全日本の社長を務め、今年の「チャンピオン・カーニバル」では“方舟の天才”丸藤正道が初出場初優勝。「自由…そして信念」を掲げて方舟を船出した三沢社長も、ただひたすらに夫を愛し続けてきた馬場元子夫人も鬼籍に入った。
18年間、それぞれの思いで両団体を応援してきたファンも、最後の思い出作りに駆けつけた。会場名物であったディファカレーは、試合開始30分前には完売。会場のあちこちでは記念撮影を行う姿も見られ、消えゆくプロレスの聖地との別れを惜しんだ。なお、6月末で営業終了後は、2020年の東京五輪に向けて再開発が進められる予定だ。
長期欠場の青柳が復帰も盟友に敗れる
ジェイク・リー(中央)らが新ユニット結成を宣言 【写真:SHUHEI YOKOTA】
今年1月に右脛骨遠位骨折、右足関節内骨折の重傷を負い、長期欠場していた青柳はこれが復帰戦。木原文人リングアナウンサー、和田京平レフェリーという、18年前のこけら落としでもメインを締めた2人の名スタッフが見守る中、青柳はいつも通りにタオルを振り回しながら入場。現世界タッグ王者コンビである崔&ジェイムスコンビの猛攻に苦しめられながらも、ジェイムスの巨体をブレーンバスターで投げ、完全復活をアピールしてみせる。その後もクロスボディー、ジャンピングニー、フライングボディーアタック、ジャーマンスープレックスなど、威勢よく大技を繰り出していった青柳だが、5.24後楽園ホールで約9カ月ぶりの復帰を果たしたばかりのジェイクも負けじと存在感をアピール。岩本の孤高の芸術のアシストからバックドロップで青柳をマットに沈め、かつての盟友を突き放した。
試合後、マイクを握ったジェイクが「面白いメンバーだね。この4人なら全日本をもっと上昇させられるかも」と笑みを見せると、岩本が「前から1人、気になってたヤツがいるんですよ」と佐藤恵一を呼び込み、握手。ジェイクは「全日本を盛り上げるチームにできるか、イエスかノーかどっちだ?」とファンに問いかけた上で、「賛否両論あるが、オレの中ではもちろん決まっている。答えはイエスだ!」と、これから新ユニットとして全日本をかき回していくと宣言した。
「全日本プロレスに新たな風を巻き起こす」べく、宮原と手を組みNEXTREMEを結成したジェイクだが、大きなケガをきっかけに、あえて敵対する道を選択。ディファ有明というひとつの時代が終わるのと同時に、産声を上げたジェイク軍が、全日本マットにどんな潮流を呼び込むのか。