「悪いスパイラル」を断ち切った錦織 完全アウェーの地でつかんだ自信

内田暁

トリッキーな存在、地元フランスのペールと対戦

互いの持ち味を生かして戦った錦織(左)とペール。3時間の戦いは、錦織が制した 【写真:ロイター/アフロ】

 この日、幾度もウイナーを奪われた相手のリターンが、最後は乾いた音を立ててネットを叩いた。
 試合開始から3時間――。悲鳴と歓声、そして拍手で鳴動するローランギャロスのセンターコートで勝者として天を仰いだのは、錦織圭(日清食品)だった。

 ブノワ・ペール(フランス)との対戦は今回が6度目で、過去の対戦成績は3勝2敗。だがその数字以上にペールの“宿敵”感が強いのは、破れた2試合がいずれもその舞台や試合内容において、錦織にとって悔いの深いものだからだ。
 最初の敗戦は、2015年全米オープン初戦。前年準優勝者の錦織が優勝候補の一角として挑んだ試合であり、第4セットでマッチポイントをつかみながらの逆転負けであった。
 2度目の敗戦は、そのわずか1カ月後のジャパンオープン準決勝。第1セットを完璧な内容で奪いながらも、第2セットを競りながら奪われると、流れを一気に掌握された。高い才能は誰もが認めるも、奇行や舌禍(ぜっか)が原因でフランステニス協会ともしばしば衝突してきたペールは、コート上でも定石やセオリーの通じぬトリッキーな存在。その独特のリズムが、これまでの対戦で錦織を乱してきた。

 今回の対戦でも、第1セットは理想的な展開で先取しながらも、第2セット最初のゲームで錦織にミスが出る。相手のスライスが、ベースラインに乗って滑りウイナーとなる不運もあった。最後は緩やかな打ち合いから、ストレートに撃ち込まれる強打でブレークを許す。そしてこのゲームを機に、試合の流れは急反転した。錦織は「彼のバックに集め過ぎたり、ボールが浅くなったり自分から打たなかったり」の「悪いスパイル」に陥り、対するペールは、強打を連発したかと思えば突如と放つドロップショットで、錦織をかき乱す。そのたびに湧き上がる大歓声やチェンジオーバー間に客席を巡るウェーブが、このコート特有の残酷な“敵地”の空気を醸成していく。孤独に戦う錦織は、2セットを連続で落とし敗戦まで1セットと追い込まれた。

トリッキーには定石で対抗 フルセットで勝利

完全アウェー、相手の奇策に苦しみながらも勝利した錦織。次戦も地元フランスの強敵と戦う 【写真:アフロ】

 その劣勢にあって錦織が自らに言い聞かせたのは、「スピンを掛けた重いボールを相手のフォアに打つ」、そして「左右に走らせる」……つまりは、自分の武器や長所に根ざした、定石とも言える策だ。第4セットは、相手のドロップショットミスを足掛かりに第2ゲームをブレークし、そのまま一気に押し切った。

 ファイナルセットでは、目の前の1ポイントに……一打に集中するその姿勢が、ジリジリとペールの“トリッキー”を崩しコート上に規律を築く。第4ゲームはブレークこそならなかったが、フォアで相手を振り回し、攻め続けられても1本でも多くのボールを必死に相手コートへと打ち返した。
 第6ゲームでは、相手のサーブ&ボレーをなんとか返すと、ペールがスマッシュをネットに掛ける。それは一見すると単なるミスだが、その実態は、錦織が見せてきた守備が生んだポイントだ。完全アウェー下の混沌(こんとん)の試合を、彼は自分が正しいと信じる物を積み重ねて、最後は勝利をつかみとった。

 苦しみながら勝ち進んだその先で、錦織を待つのはまたも、地元フランス勢で元世界6位のジル・シモン。再び、精神的にも厳しい戦いとなるのは間違いない。そしてそれだけにこのペール戦の勝利は、自分の正しさを信じる根拠として、大きな価値を帯びるはずだ。
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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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