祐一ついに叶えた福永家の夢ダービーV 「洋一の息子として誇れる仕事ができた」
「父の代わりに自分が夢をかなえることができれば」
父・洋一氏も夢見たダービーのウイニングラン、祐一は歓喜のガッツポーズを見せた 【スポーツナビ】
「父の時代は海外のレースを目指すという時代でもなかったので、一番勝ちたかったレースがダービーだとよく聞いていました。でも、志半ばで騎手生命を絶たれてしまって……。僕は父のあとを継ぐ形でこの世界に入って、代わりに自分がその夢をかなえることができれば、父も喜んでくれると思っていましたから」
天才ジョッキーと呼ばれていた父・福永洋一氏。しかし、1979年3月の落馬事故が原因で引退を余儀なくされた。当時まだ31歳。通算983勝を挙げ、天皇賞春・秋、皐月賞、菊花賞、桜花賞などビッグレースを制した不世出のジョッキーは、ダービーを勝たずに競馬場を去ることになった。その父が果たせなかった夢を「家族がかなえる夢」として心に誓い、ジョッキーとなった祐一。「父の縁もありましたし、(師匠で元調教師の)北橋(修二)先生の縁もありました」と、1996年3月のデビュー戦からいきなり2連勝するなど、順風満帆な騎手人生をスタートしたかに思われたが、1998年、ワグネリアンと同じように東スポ杯を圧勝して早くからクラシック候補と目された素質馬キングヘイローで挑んだダービーで、どん底に突き落とされた。
「デビュー間もないころでしたが、これほどの馬を任せていただいたのに期待に応えられなかった。緊張にのみ込まれたのは初めてでした」
また、エピファネイアで挑んだ2013年のダービーでは、武豊とキズナの神がかった末脚に屈し2着。「一番深い悔しさ、自分の無力さを感じた」レースだった。そしていつしか「自分が現役でいる間はもうダービーを勝てないんじゃないか」と、夢を諦めかけたという。しかし、「ファンの皆さんや近くで支えてくれる人たちに叱咤激励されて、諦めずにチャレンジすることができた」と福永。父・洋一氏の落馬事故、そして息子・祐一のこの苦難の道のりを知っているからこそ、東京競馬場を埋めた11万超の観衆は大きな歓声と拍手で祝福した。大げさではなく、馬券が当たった人はもちろん、外れた人もみんな、福永がダービージョッキーになったことを喜んでいたのではないか。それくらい、東京競馬場は温かさに包まれていた。
父を超えた祐一、この先目指すものは――
「新しい元号でもダービージョッキーになりたい」と福永 【スポーツナビ】
笑顔を見せた福永は、さらに大きな笑みを浮かべてこう言った。
「親父の名前でこの世界に入ってきたので、ようやく“福永洋一の息子”として誇れる仕事ができたと思います。父に良い報告ができますね。ダービージョッキーとして見るこの景色を父も見たかったと思うので、父の代わりに目に焼き付けたい」
洋一の息子もすでに41歳のベテラン。確かにダービー勝利まで時間はかかったが、遅すぎるということはない。初めて父を超えた祐一が、ますます円熟味を増した騎乗でこれからの競馬界を沸かしてくれるだろう。その目は来年、再来年へとすでに向いている。
「平成最後のダービージョッキーというのは意識していました。次の元号でもダービージョッキーになれるように精進していきたいです」