初Vのダニエル太郎、父から学んだ人生観「テニスは人生を楽しむ手段」

内田暁

父へ向けた初優勝のスピーチ

日本男子史上4人目となるツアー初優勝を遂げたダニエル太郎(左)。優勝スピーチでは父へ向けた感謝のメッセージを語った 【写真は共同】

「僕にテニスを始めるきっかけを与えてくれた、お父さんに感謝している。お父さん、ありがとう」

 日本人男子4人目のツアー優勝をイスタンブールでつかんだダニエル太郎(エイブル)は、表彰式のスピーチで、柔らかい笑みを観客席の一角に向けた。その視線の先にいるのは、優勝者とよく似た優しい笑みを浮かべる紳士。父のポール・ダニエルさんは、忙しい仕事の合間を縫い、息子のサポートのためイスタンブールに駆けつけていた。

 ダニエルにとってテニスは、父が与えてくれたものだった。
 学生時代にテニスに打ち込んだポールさんは、仕事で埼玉に移り住んだ時、近所のスクールで「ストレス解消のため」再びテニスに汗を流した。やがて、父親についてスクールに来ていた長男の太郎と妹の可菜も、見よう見まねでラケットを振り始める。その頃から父にとり、子供たちの成長こそが、テニスコートに向かうモチベーションとなった。

「僕たちにテニスの道を歩むチャンスを与えたいという、お父さんの情熱が強かった。僕はそれに乗ってきたので、ありがたかったと思います」

 自身と父親、そしてテニスとの関係性を、ダニエルはそのように定義する。もっともテニスの世界では、親が最初のコーチという選手は少なくない。時にその情熱が一線を超えてしまうケースもあるが、ダニエルは「暴力をふるったり、プレッシャーを掛けたりするお父さんでは全然なくて」と父を語る。

「お父さんは、テニスが楽しめれば、本当に楽しめる人生になるんじゃないかと思っていて……」

 そのチャンスを父が与えてくれたことを、ダニエルは何より「感謝している」のだと言った。

苦しかったシーズン序盤 光を示してくれた父

3月のBNPパリバ・オープンではジョコビッチ(手前)に勝利した 【写真:Shutterstock/アフロ】

 兄妹がテニスを始めた時、最初に周囲の人々から期待を集めたのは、妹の方だったという。だが両親にとり、そんなことは関係ない。出る大会や試合のグレードも、両親にとっては評価の基準や喜びの指標ではなかった。

「父親としては、テニスを通じて生き方を教えたかった」と父は言う。伝えたかったのは「考え方や、attitude(姿勢)」。それをコート上で示してくれれば、親は子を誇りに思った。

「14才以下の関東大会の予選を勝ち上がった時も、マスターズで勝った時でも、親は変わらず誇りに思ってくれているのかなと思うので……それがうれしいです」

 3月のBNPパリバ・オープン(ATP1000)でノバク・ジョコビッチ(セルビア)を破る快進撃を見せた時、ダニエルは端正な口元を照れくさそうにゆがめながらも、真っすぐにそんな言葉を口にした。

 今季は開幕当初から勝利に見放され、「結果を求め過ぎたり、ネガティブになったりと難しい3カ月」を過ごしていたダニエルに、光を示してくれたのも父である。2月末のアカプルコ大会(アビエルト・メキシコ・テルセル/ATP500)の初戦で負けた後、親子はボールかごを手に連日コートへと足を運んだ。今では父親が息子に対し、技術的な助言を与えることはほとんどない。ただ「今取り組んでいることを体で覚えるための、良い方法を見つけようと思った」と父は言う。その方法とは結局は、繰り返しボールを打つこと。課題としているサーブとボレーに集中的に打ち込み、「上達し続ければ、いつか必ず上に行ける」と説き聞かせる。大観衆が見るなかでジョコビッチを破ったのは、そのわずか1週間後のことだった。

「こういう勝利はうれしいけれど、ただ、そこに来るためだけにテニスをやっていたわけではない。“チャレンジャー(ATPツアーの下部大会)”をまわる事や、日本や米国での苦しいトレーニングも、全部パッケージやプロセスのひとつなので」

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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