「サッカーを文化として根付かせたい」 山口・霜田正浩監督インタビュー<前編>

飯尾篤史

今季、山口の監督に就任した霜田正浩。まずはレノファがどういうクラブになりたいか、山口県がどんな場所なのか勉強したという 【写真:飯尾篤史】

 強化の立場から現場へ――。技術委員として長らく日本代表を支えてきた霜田正浩氏が今シーズンからJ2レノファ山口の指揮を執っている。

 高校を卒業してブラジルに留学した霜田氏は帰国後、フジタ工業や京都紫光クラブでプレー。引退してからは京都パープルサンガ、FC東京、ジェフユナイテッド千葉などで強化担当やコーチなどを務めた後、2009年から16年までは日本サッカー協会に籍を置き、代表チームのサポートにあたった。

「そろそろ現場に戻りたいと思っていた」という霜田氏は17年8月、ベルギーのシント・トロイデンのコーチとして現場に復帰。今シーズン、Jリーグの舞台で指揮を託されると、さっそく攻撃的なスタイルをチームに植え付け、旋風を巻き起こしている。

 第11節を終えた時点で6勝2分け3敗の3位。昨シーズンは20位だったことを考えれば、チームの変貌ぶりは明らかだ。好調の要因は果たしてどこにあるのか。(取材日:4月11日)

監督はチームの歴史と向き合わなければ

――開幕3連勝とスタートダッシュに成功し、現在3位につけています。この成績は想定内だったのでしょうか。それとも、思い描いていたよりもうまくいっているのでしょうか?

 これまで僕はJ2を戦ったことがないから、相手のことを詳しく知らないし、J2のレベルも分からない。自分の選手たちがどれくらい活躍できるのか、やってみないと分からなかったところがあったから、正直、「こんな結果が出るんだ」という感じです。

――これまで強化の立場からクラブチームや代表チームを見てきた霜田さんでも、やってみないと分からないんですね。

 そうですね。それはネガティブなことだけでなく、「うちの選手、こんなこともできるんだ」というポジティブな発見もたくさんある。アンダーの代表で見たことのある選手もいるけれど、そのときは練習時間が限られていたし、僕がやらせたい練習を、そのときの代表チームがやっていたわけでもない。今、自分の手元に置いて、毎日一緒にトレーニングをして、「キャンプではできなかったのに、できるようになってきたな」という新たな発見があって、すごく面白いですよ。

――レノファ山口のトップチームを任され、クラブの基盤作りも託されているそうですね。基盤作りとは、具体的にどのようなことですか?

 チームの前にクラブというものがあって、そのクラブがあるのが山口県。他の地域のクラブと目的が同じではないと思うんですよ。もちろん、J1昇格といった共通する目標もあるけれど、Jリーグに50クラブ以上がある中で、そのクラブにしかない色、目的、背景もある。だから、まずはレノファ山口がどういうクラブになりたいのか、山口県がどんな場所なのか、勉強する必要があった。

――それは、日本代表の外国人監督たちが、日本の文化や教育がどのようなものかを学ぶのと同じですよね。

 やっぱり監督は、チームの歴史と向き合わなければいけないと思います。これまでどんなサッカーをやってきて、今ここにいるのか。そういうことを理解した上で、今を戦わなければならない。だから、レノファがJFLやJ3で攻撃的なサッカーを展開していたのは知っているし、その部分はこれからも続けてやっていかなければと思いました。そもそも僕自身も、守備を固めて相手のミスを待つようなサッカーはやりたくないと思っていたので。そうした歴史や背景を踏まえた上で、僕を呼んでくれた人たちと、これまでディスカッションを何度も重ねてきました。

――この先、どういうクラブにしていこうか、と。

 根本にあるのは、山口という地域にサッカーを文化として根付かせたいという想い。その手段として、レノファというクラブがある。この認識は社長(河村孝)、GM(石原正康)と一致しています。では、どうやってレノファを強くするか、どうやってお客さんにスタジアムまで足を運んでもらうかというと、大金をはたいてスター選手を獲得するのは難しいから、見ている人に訴えるようなサッカーをしなければならない。勝つこともあれば、負けることもあるけれど、また応援したいと思ってもらうことが大事だと。山口のためにレノファがあり、レノファを強くすることが、本当の地域貢献になると思っています。

 僕は監督として「絶対に勝つ」「絶対にJ1に行く」という約束はできないけれど、選手が最後まで諦めないとか、見ている人に熱が伝わるようなサッカーをするということは約束しますと。今のところ、選手たちはそれをピッチで表現してくれているし、結果も付いてきているので、すごく良いスタートが切れたと思っています。

監督自ら補強選手を口説いた

高木大輔(中央手前)ら新加入選手は全員、指揮官自ら口説き落とした 【(C)J.LEAGUE】

――霜田さんは昨年7月から11月までベルギー1部のシント・トロイデンのコーチを務めていました。どういう経緯で山口を率いることになったんですか?

 まず、レノファ側から連絡をいただきました。そこで「まずは僕のやりたいことを聞いてください。それがクラブにとって必要なことであれば、一緒にやりましょう」という話をして、プレゼンをしたんです。方向性が違うなら、やらない方がいいからね。それが一致したから、一緒にやることになった。だから、始まってからは、すべてがスムーズに進んでいます。

――そのスムーズさが選手補強の的確さにも表れていると思います。

 その通りですね(笑)。

――予算が決して多くない中で、すごく的確な補強をされて、オナイウ阿道選手、高木大輔選手、大崎淳矢選手らはさっそく主力として活躍しています。霜田さんが直接口説いたんですか?

 隠す必要もないので言うと、帰国したのが昨年の11月末だったから、準備期間が12月の1カ月しかなくて、その間にスタッフ、選手の編成をしなければならなかった。ただ、僕がやりたいサッカーはハッキリしているし、クラブとも方向性が一致している。それなら編成を一緒にやりましょう、ということで、GMに隣に座ってもらって、既存の選手30人と一人ひとり面談をしたり、交渉をしたんです。パワーポイントを使いながら「俺はこういうサッカーをしたい」ということをプレゼンして、「一緒にやってほしい」と。それから今度はGMと相談しながらピンポイントで補強しました。今回は全員、僕が口説きに行きました。口説いて獲れなかった選手もいます。

――そこは、条件面の問題もあったりして。

 そうですね。うちを選んでくれなくても仕方がない。でも、大事なのはうちを選んでくれた選手には「あれ? 言っていたことと違うじゃん」と思われないようにしなければいけないということ。それが誠意ある交渉だから。僕が声を掛けたのに、ベンチに座らせている選手もいます。試合で使うかどうかまでは約束できないから。でも、レノファに来てくれたら、シーズン終了後にレノファでサッカーをやって良かったと思ってもらえるように、100パーセントの努力をする。それは約束すると。その約束を守るためにも僕は手を抜けない。

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著者プロフィール

東京都生まれ。明治大学を卒業後、編集プロダクションを経て、日本スポーツ企画出版社に入社し、「週刊サッカーダイジェスト」編集部に配属。2012年からフリーランスに転身し、国内外のサッカーシーンを取材する。著書に『黄金の1年 一流Jリーガー19人が明かす分岐点』(ソル・メディア)、『残心 Jリーガー中村憲剛の挑戦と挫折の1700日』(講談社)、構成として岡崎慎司『未到 奇跡の一年』(KKベストセラーズ)などがある。

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