ハリルが去り、われわれに残されたもの 「問題」を抱えていたのはどちらか?

宇都宮徹壱

「彼の気が晴れるならそれでいい」?

田嶋会長(右から2番目)はなぜハリルホジッチ氏と円滑な関係性を築けなかったのか 【宇都宮徹壱】

 一連の人事は、16年1月のJFA会長選挙で田嶋氏が当選した直後に行われている。ちなみに霜田氏の前任者であり、アルベルト・ザッケローニ氏から始まる「外国人監督路線」を築き上げた専務理事の原博実氏は、会長選挙に敗れたことでJFAから去らざるを得なくなってしまった。原・霜田ラインという後ろ盾を失い、新しい技術委員長は傍らにいるけれど「良かった」としか言ってくれない。揚げ句、何ら事前予告もなしでの解任。加えてW杯開幕2カ月前のタイミングであり、「コミュニケーションや信頼関係」の問題がJFA側にも求められるとなれば、今回の解任劇の正当性がいかに薄弱だったか容易に理解できよう。

「私の得意分野である『最後の詰め』という仕事をさせてもらえなかった。『ここからだ』というところで仕事をすることがかなわなかった。(中略)フランスでも『日本でそんなことが起こるの?』とよく聞かれた。日本は、お互いを尊重する国だと聞いていた。代表監督に対する仕打ちとして、皆さん、いかがだろうか」

 前監督のこうした訴えに対して、JFAの長たる田嶋会長は、どう受け止めたのだろう。報道によれば「彼の気が晴れるならそれでいい」と語ったそうである。この発言に脱力したのは、私ひとりではなかったはずだ。もしもここで、会長の故郷である熊本への激励のコメントに謝意を示したならば、まだ印象も変わっただろうに、とも思ってしまう。今回のハリルホジッチ氏の会見は、あくまでも本人の主張を述べたものであり、「それは違う」という意見も当然あるだろう。だが「説得力」という一点においては、先に行われた田嶋会長の会見と比べて、どちらに分があったかは論を俟(ま)たない。

 今回の会見によって、田嶋氏や西野氏の会見では語られなかった部分に光が当てられたことは、大変意義があったと思う。だが、依然として謎も残る。FIFA(国際サッカー連盟)の理事も務め、外国人とのタフな交渉にも長けていたはずの田嶋会長が、なぜハリルホジッチ氏に対して円滑な関係性を築けなかったのか。そして、「選手とのコミュニケーションや信頼関係」というふわっとした理由で、今回の決定が世論に受け入れられると本当に信じていたのだろうか。私には田嶋会長が、かように無謀な人物であるようには思えない。むしろ、いまだ語られない解任の「本当の理由」があったのではないか、とさえ勘ぐりたくもなる。

 かくして「アリガトウ」という言葉を残して、ハリルホジッチ氏は去っていった。当面の間、国際経験豊かな外国人監督が日本代表を率いることはないだろう。田嶋会長は新たに発足した技術委員会に対して、「今後も日本人監督で」と要望したと伝えられる。どうやら今回、問題とされた「コミュニケーションや信頼関係」というのは、結局のところ日本人特有の「忖度(そんたく)」や「空気を読む」ことと同義であったようだ。世界を知る名将が放逐され、われわれファンに残されたのは、極めてドメスティックで矮小(わいしょう)化された日本代表である。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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