ハリルが去り、われわれに残されたもの 「問題」を抱えていたのはどちらか?
「彼の気が晴れるならそれでいい」?
田嶋会長(右から2番目)はなぜハリルホジッチ氏と円滑な関係性を築けなかったのか 【宇都宮徹壱】
「私の得意分野である『最後の詰め』という仕事をさせてもらえなかった。『ここからだ』というところで仕事をすることがかなわなかった。(中略)フランスでも『日本でそんなことが起こるの?』とよく聞かれた。日本は、お互いを尊重する国だと聞いていた。代表監督に対する仕打ちとして、皆さん、いかがだろうか」
前監督のこうした訴えに対して、JFAの長たる田嶋会長は、どう受け止めたのだろう。報道によれば「彼の気が晴れるならそれでいい」と語ったそうである。この発言に脱力したのは、私ひとりではなかったはずだ。もしもここで、会長の故郷である熊本への激励のコメントに謝意を示したならば、まだ印象も変わっただろうに、とも思ってしまう。今回のハリルホジッチ氏の会見は、あくまでも本人の主張を述べたものであり、「それは違う」という意見も当然あるだろう。だが「説得力」という一点においては、先に行われた田嶋会長の会見と比べて、どちらに分があったかは論を俟(ま)たない。
今回の会見によって、田嶋氏や西野氏の会見では語られなかった部分に光が当てられたことは、大変意義があったと思う。だが、依然として謎も残る。FIFA(国際サッカー連盟)の理事も務め、外国人とのタフな交渉にも長けていたはずの田嶋会長が、なぜハリルホジッチ氏に対して円滑な関係性を築けなかったのか。そして、「選手とのコミュニケーションや信頼関係」というふわっとした理由で、今回の決定が世論に受け入れられると本当に信じていたのだろうか。私には田嶋会長が、かように無謀な人物であるようには思えない。むしろ、いまだ語られない解任の「本当の理由」があったのではないか、とさえ勘ぐりたくもなる。
かくして「アリガトウ」という言葉を残して、ハリルホジッチ氏は去っていった。当面の間、国際経験豊かな外国人監督が日本代表を率いることはないだろう。田嶋会長は新たに発足した技術委員会に対して、「今後も日本人監督で」と要望したと伝えられる。どうやら今回、問題とされた「コミュニケーションや信頼関係」というのは、結局のところ日本人特有の「忖度(そんたく)」や「空気を読む」ことと同義であったようだ。世界を知る名将が放逐され、われわれファンに残されたのは、極めてドメスティックで矮小(わいしょう)化された日本代表である。