男子ダブルスで急成長のマクラクラン勉 日本人としてプレーし「全てが変わった」

内田暁

痛感した華やかな舞台の厳しさ ダブルス転向へ

17年夏、日本に国籍変更。協会のサポートを得られ、団体で戦う機会は、マクラクランにとって充実した時間になった 【写真は共同】

 希望を抱き飛び込んだプロの世界――だがそこでマクラクランを待っていたのは、華やかに見える表舞台の裏側だった。兄と二人で、あるいは時に一人で、治安も知れぬ土地を訪れ、町の小さなテニスコートで、観客もいないなかで試合をする。それまでは最新設備がそろう大学のコートで、多くの関係者や観客の声援を背に戦ってきた彼には、その急激な変化が心にこたえた。

「テニスが楽しくない。なんでこんな場所に自分は一人でいるんだろう」

 そう感じることが多くなった彼は、経済的な理由もあり、戦いの軸足をダブルスへと移していく。パートナーと勝利を目指す感覚は性格的にもあっていたし、何より、少年時代から磨きを掛けてきたサーブとボレーの高い技術は、ダブルスで大いに生きた。

 テニスを楽しむ心を取り戻し、ダブルスランキングもトップ200を切ったその頃、過去から連なる人生の歯車がまた一つ大きく動く。それは、元ダブルストッププロのトーマス嶋田が、日本ナショナルチームのコーチに就任したことだった。米国育ちの嶋田は米国の大学テニス関係者に知己が多く、マクラクランのコーチであるベールとも旧知の仲。それらの縁が引き合わせ、マクラクランは日本代表として戦う可能性を模索し始めた。結果、2017年夏から日本国籍のもとでプレーすることになり、同年9月のデビスカップ対ブラジル戦で、代表デビューも果たす。そのデビスカップでは敗れはしたが、ダブルスの世界3位と12位ペアと対戦し、「相手は確かに強いが、そこまで大きな差はない」との手応えを持ち帰ることができた。

一気に動き出した世界 ダブルスランクはトップ30に

内山靖崇(右)とペアを組んだ17年ジャパン・オープンでは優勝。今季の活躍にも期待が高まる 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

 手にしたその微かな感覚を、確信に変える機会もすぐに訪れる。10月のジャパンオープンに、主催者推薦枠で内山靖崇(北日本物産)と組み出たマクラクランは、第1シードペアや、グランドスラム優勝経験を持つ強豪たちを次々に破り頂点へと駆け上がったのだ。この時点で、半年前には160位前後だったランキングは80位まで跳ね上がり、戦いのステージはグランドスラムやツアーレベルへ達する。そして今年1月、初めて踏んだグランドスラムの舞台で彼は、ドイツ人選手と組みベスト4へと躍進。3月のマイアミ・マスターズでもベスト4入りし、今や世界トップ30(現在27位)のダブルスプレーヤーに名乗りを上げた。

「日本人としてプレーするようになってから、全てが変わった。協会もサポートしてくれるし、デビスカップでも戦える。僕のパーソナリティーは、団体戦向きなんだと思います。だからデ杯(デビスカップ)で戦ったり、ツアーに来てもいろいろな日本人選手たちが声を掛けてくれるのが楽しい」

 人懐っこい笑みを浮かべる彼は、同時に鳶色(とびいろ)の瞳に強い野心の光もたたえて言った。

「ここでまだ終わりたくない。もっと上に行きたい」

 多くの人の縁や決断を重ねてここまで至った彼は、その可能性が自分にはあることも、そしてチャンスは自分の手でつかみ取らなくてはならないことも知っている。

 日本というレールに乗り急加速した旅は、まだ始まったばかりだ。

2/2ページ

著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント