ローマの指揮官は「クレイジー」な男 CLベスト4に導いたのは中田英寿の元同僚

片野道郎

監督の「格」を決めるハードルとは

弱小サッスオーロで披露した勇敢な攻撃サッカーが評価されてローマへ 【Getty Images】

 かくして08−09シーズンから監督業をスタートさせたディ・フランチェスコにとって、監督キャリアにおける最大の分岐点となったのが、サッスオーロでの2年目、前年にセリエBを制して昇格した13−14シーズンのことである。

 セリエBでそれなりに戦力の整ったチームを率いれば結果を残すが、セリエAに昇格(あるいはステップアップ)して下位のクラブを率い、格上の強豪ばかりを相手に戦うと、困難に陥る監督は少なくない。というよりも、監督としてエリートの座を手に入れるか、それともセリエBとAを往来する並の存在で終わるか、最大の分岐点がここにあると言った方がいい。

 戦力的にハンディキャップを背負ったセリエAの弱小クラブを率いて、内容・結果の両面で説得力のあるシーズンを送ることができるかどうかが、監督としての「格」を決める最大のハードルなのだ。マッシミリアーノ・アッレグリ(ユベントス)、マウリツィオ・サッリ(ナポリ)、ルチアーノ・スパレッティ(インテル)といった監督たちは、いずれもこのハードルを際立ったやり方で乗り越え、現在の地位を手に入れている。

 しかし、道は険しかった。開幕から4連敗、しかも4試合目にはインテルに0−7という惨敗を喫するに至った。クラブからの介入を受けたディ・フランチェスコは、監督キャリアを通じて信奉してきた、アグレッシブなハイプレスと縦への志向がきわめて強いシステマティックな攻撃を柱とする4−3−3システムを棚上げして、当時のセリエAで流行中だった重心の低い3バックを導入する。目的は、チームの重心を下げ、最終ラインの中央を厚くすることによって、4試合で15失点と崩壊していた守備を立て直し、残留という目標を勝ち取るために不可欠な“目先の結果”を追求することだった。

 この大きな妥協を伴う戦術変更によって、サッスオーロは一旦持ち直し、降格ゾーンからの脱出に成功する。しかしシーズン半ばを過ぎると再び不振に陥って黒星を重ね、再びチームに手を加えるなど迷走を始めたディ・フランチェスコは、1月末に解任に追い込まれることになった。ところが後任のアルベルト・マレサーニはチームを掌握することすらままならず、就任直後から5連敗して最下位に転落。クラブは慌ててディ・フランチェスコを呼び戻す。

「最初の半年は初めてのセリエAで誰もが混乱していた。私自身がその筆頭だった。解任された時にはそのことを心から後悔した。だから戻った時には同じ間違いを二度と犯すまいと決めた。うまくいくにしても失敗するにしても、自らの信じるところを貫けば後悔はしないはずだから」

 後年、あるインタビューでこう語った通り、サッスオーロに復帰したディ・フランチェスコは、当初の構想だった4−3−3でチームを再構築すると、終盤の6試合で4勝を挙げて降格ゾーンからの脱出に成功、奇跡的な残留を勝ち取ったのだった。

「アグレッシブに、前へ」というスタイル

ユーべのアッレグリ(左)やナポリのサッリ(右)のようにステップアップできるか 【Getty Images】

 それからの3シーズン、ディ・フランチェスコ率いるサッスオーロは、相手にかかわらず常にアグレッシブに前に出てボールを奪い、そこから一気に人数をかけて攻め切るというインテンシティーの高いモダンなスタイルに磨きをかけ、内容と結果の両面でポジティブなシーズンを重ねることになる。就任4年目の15−16シーズンには6位に入ってクラブ史上初めてのヨーロッパリーグ(EL)出場権を獲得、5年目の昨シーズンはELとの「二足のわらじ」に苦しみ、12位という不本意な順位に終わったものの、指揮官の手腕に対する評価はまったく揺るがなかった。セリエAでサッスオーロを率いた4シーズンを通じて、ディ・フランチェスコは、イタリアで最も将来有望な若手・中堅監督の1人という地位を完全に確立していた。

 昨シーズン限りでスパレッティ監督がチームを去っただけでなく、25年にわたってクラブのシンボルであり続けた生ける金字塔トッティが40歳で引退、さらに過去6年間にわたってチーム強化を担ってきたワルテル・サバティーニSD(スポーツディレクター)も前シーズン途中に退任し、新たな強化責任者にはスペインのセビージャからモンチを引き抜いてくるなど、クラブとして一つのサイクルを終え、大きな過渡期を迎えていたローマが、新監督候補としてチームOBでもあるディ・フランチェスコに白羽の矢を立てたのは、ある意味では必然だった。

 中堅クラブからビッグクラブへのステップアップは、どんな監督にとっても「エリートへの道」における最終関門である。近年のセリエAでは、アッレグリ、サッリ、スパレッティがこの関門を突破したのに対し、ワルテル・マッツァーリ、シニシャ・ミハイロビッチ、ステファノ・ピオリ、ビンチェンツォ・モンテッラといった監督たちが、そこで足止めを喰らってキャリアの停滞期に直面しなければならなかった。

 独力で試合の流れを変えられるだけの高い個人能力を持ち、それに見合うだけプライドも高いトッププレーヤーたちが顔をそろえたビッグクラブで、その選手たちを納得させ、ひとつに結束したチームとして組織的に機能させるためには、弱小・中堅クラブを率いるのとはまた別のクオリティーが監督にも要求される。自らの戦術に選手を当てはめるだけでなく、チームが擁するトッププレーヤーたちをピッチ上で共存させつつ、それぞれが本来の能力と持ち味を発揮できるような戦術的解決を見いだし、それを実際にピッチ上で機能させる手腕がそれだ。

 例えばアッレグリは、毎年シーズン中に複数のシステムを試しながら、勝負がかかった終盤戦には常に効果的な最終型を見いだしている。サッリもナポリに就任した当初は、自らの信奉する4−3−1−2システムに選手を当てはめようと試みたが、ロレンツォ・インシーニェやホセ・カジェホンといった主力をより生かせる4−3−3にシステムを変更し、現在の緻密なメカニズムを築き上げた。

コンセプトはそのまま、でも柔軟に

 ディ・フランチェスコもまた、ローマでの1年目で同じプロセスをたどっている。アグレッシブなハイプレスによって敵陣でのボール奪取を狙う「前に出る守備」、そして前方のスペースに素早く人とボールを送り込む縦志向の強い攻撃という、ズデネク・ゼーマン監督直系のフィロソフィー、基本コンセプトはもちろん不変だ。

 しかしシステム自体は、これまで頑なと言っていいほどにこだわり続けてきた4−3−3に、少しずつ柔軟性を与え始めている。ダニエレ・デ・ロッシ、ケビン・ストロートマン、ラジャ・ナインゴランというMF陣の個性を踏まえ、相手によっては中盤トライアングルの構成を逆三角形から正三角形に変えるという対応もそのひとつ。そして今回のCLバルセロナ戦で踏み切った3バックへのシステム変更は、チームの基本構造にまで手を入れるという形で、その柔軟性の枠をさらにもうひとつ拡げるものだった。

 このバルセロナ戦は、ディ・フランチェスコの監督キャリアにとって、ひとつの分水嶺を記す試合として記憶されることになるかもしれない。

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著者プロフィール

1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。2017年末の『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)に続き、この6月に新刊『モダンサッカーの教科書』(レナート・バルディとの共著/ソル・メディア)が発売。

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