得体が知れないストリートサッカー育ち セネガルのマネは「王様」ペレに似ている

西部謙司

型破りで、より純粋なフットボーラー

プレミアリーグでのブレーク前夜を過ごしたザルツブルク時代 【写真:ロイター/アフロ】

 ストリート・フットボールは純粋な遊びだ。ボールは石だったり紙や糸くずを丸めたものだったり、フィールドはそのときで違うし、ゴールもサンダルや棒きれだったり。車が来るとゲームが一時中断することぐらいが共通のルールだろうか。

 遊びといっても真剣さはピンキリ。ガーナの空き地で行われていたストリート・フットボールには観客もいたし、人が集まるので物売りもいた。シャツを着ているチーム対裸チームの子供の試合だが、ギャラリーの中にはたぶん賭けをしている人もいたと思う。判定を巡って乱闘にもなっていた。両方から非難されたレフェリーの男の子は泣きながら帰ってしまい、それで試合が終わってしまった。

 ルールもなければコーチもいない。その代わりストリート・フットボールは自由だ。その中で呼吸するようにプレーしてきたストリート・フットボーラーには型がない。癖はあっても、型にははまっていない。戦術はないが知恵はある。子供というのは、放っておけば大人より勝ちたがるからだ。磨き抜かれた対人スキル、無尽蔵のスタミナ、飽くなき闘争心、何よりも輝くばかりのヒラメキ……だから最も優れたストリート・フットボーラーは、極めて魅力的なフットボーラーでもある。ある意味、育成されたフットボーラーよりフットボーラーなのだ。

「二段階の適応」を経て一流選手に

マネとサラーで形成するリバプールの両翼は、いまや世界最強レベル 【Getty Images】

 ただ、フットボールとストリート・フットボールは別物だ。特にプロを目指すとなれば、10代でヨーロッパに渡った後には環境の違いに適応しなければならない。サッカーには早く適応できる。最初は大変かもしれないが、プレーヤーとしての資質は持っているのでいずれは適応する。より大きいのは、生活面の違いの方だろう。

 マネの場合は、言葉の通じるフランスのメスで2シーズンを過ごした後、オーストリアのザルツブルクへ移籍している。ザルツブルクは有名なスポーツ・ディレクター、ラルフ・ラングニック(当時)が描く最先端かつ特殊かつ野心的なサッカーを展開するクラブだった。ただ、先入観に固まっていない素材を求めていたクラブ側とストリート・フットボーラーの相性が意外にいいのは、マネの後輩であるナビ・ケイタ(現ライプツィヒ)のケースもそうだった。二段階の適応の後、マネはイングランドのサウサンプトンでブレークした。現在所属するリバプールでは、さらに名声を高めている。モハメド・サラーとの両翼は世界でも最強だろう。

 ヨーロッパのサッカーに適応できたのはマネの賢さと向上心を証明している一方、やはり地金はストリートの人である。ずっと大人しくしているわけがない。プロフットボールは高度なチームプレーを要求するが、マネへの期待はプラスアルファの部分にある。敵をやっつけてゴールすること。それに関しては独壇場だ。教育されてきただけでは決してできないプレー、ストリート出身の本領が発揮されている。

 シルベスター・スタローンが主演した『勝利への脱出』という映画にペレも出演していた。監督役が黒板で戦術を説明していると、ペレはチョークを奪って「こうやって、こうやってゴールだ」と、1人で敵を全部抜いて得点すれば簡単じゃないかと言い放つ場面があった。映画はハイライト・シーンとなるペレの美しいバイシクルシュートとともに、四つん這いになってドリブルで疾走するシーンが印象的だった。実際、ペレはそういう選手だったのだ。誰にも思いつかない数々のアイデア、天衣無縫のインスピレーションでサッカーの王になっている。予想ができないという点で、ストリート・フットボーラーほど厄介な相手はない。得体が知れず、底が見えない。

 マネをどう抑えるかは日本代表の大問題だが、残念ながら答えはない。何をするか本人も分かっていないのだから、対策のしようがないからだ。

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著者プロフィール

1962年9月27日、東京都出身。サッカー専門誌記者を経て2002年よりフリーランス。近著は『フットボール代表 プレースタイル図鑑』(カンゼン) 『Jリーグ新戦術レポート2022』(ELGOLAZO BOOKS)。タグマにてWEBマガジン『犬の生活SUPER』を展開中

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