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伝統と革新で彩られた全日本CCの歴史
18年はノア丸藤初参戦などで期待感大
いよいよ18年の「チャンピオン・カーニバル」が4,7仙台サンプラザ大会で開幕
いよいよ18年の「チャンピオン・カーニバル」が4,7仙台サンプラザ大会で開幕【写真:SHUHEI YOKOTA】

 全日本プロレスの春の祭典「2018 チャンピオン・カーニバル」が7日、宮城・仙台サンプラザホールで開幕。今年は16選手が2ブロックに分かれて総当りリーグ戦で激突し、4.30東京・後楽園ホールで優勝決定戦が行われる。例年以上に注目を集める今年の祭典を前に、CCの歴史や印象的なドラマ、そして今年の見どころなどについて紹介していきたい(文中敬称略)。

旗揚げから半年で始まった目玉シリーズ

「チャンピオン・カーニバル」(CC)がスタートしたのは1973年4月。全日本の旗揚げ戦が1972年10.22東京・日大講堂なので、団体が創設されてからわずか半年で目玉シリーズが誕生したことになる。なお、全日本のもうひとつの看板である年末の風物詩「世界最強タッグ決定リーグ戦」の第1回は78年。そのため、スタートの時期としてはCCの方が早いが、CCは83年から90年の間はリーグ戦が行われていないため、毎年継続して開催されているシリーズとしては最強タッグの方が長くなる。


 ちなみに、全日本より半年早く、72年3.6東京・大田区体育館で旗揚げした新日本プロレスでは、“真夏の祭典”「G1 CLIMAX」が91年から、“春のナンバーワン決定トーナメント”「NEW JAPAN CUP」が05年から、また、夏のG1と同年に開始された冬のタッグリーグ戦については「SUPER GRADE TAG LEAGUE」(91〜98年)、「G1 TAG LEAGUE」(99年〜2011年)、「WORLD TAG LEAGUE」(12年〜)と、なぜか名称が3回も変更。いずれのシリーズも、ライバル団体よりもかなり出遅れたスタートとなっている。


 とはいえ、新日本の看板タイトルであるIWGPヘビー級王座が新設されたのは、87年6.12東京・両国国技館(初代王者はアントニオ猪木)と、全日本の三冠ヘビー級王座誕生(89年4.18大田区、初代王者はジャンボ鶴田)より約2年も早い。また、全日本の秋に定着しつつある「王道トーナメント」に至っては13年に始まったばかりであり、老舗団体といえども、折々の季節の歳時記代わりになるような定番シリーズの誕生と継続は、並大抵の労力ではないだろう。

忘れられぬ97年の川田、小橋、三沢の巴戦

 CCは中断こそあれ、全日本の旗揚げとほぼ同じだけの年月を歩んできただけあって、そこに刻まれたレスラーたちの名前にも歴史が感じられる。


 まずは73年からリーグ戦休止前までの82年までを「第1期」とすると、この時代は、全日本の創始者であり、絶対的象徴であり、エースであったジャイアント馬場の独壇場であった。記念すべき73年の第1回から75年にかけて3連覇を達成し、さらに77年&78年、81年&82年も2連覇と、通算7度優勝。もちろん、この記録はいまだに破られておらず、今後も超えることは相当に難しいだろう。なお、馬場以外の優勝者はアブドーラ・ザ・ブッチャーが76年と79年、ジャンボ鶴田が80年となっている。


 続いて、リーグ戦が復活した91年から、選手が大量離脱するまでの00年を「第2期」とすると、この時代は「四天王」の黄金期であった。91年はジャンボ鶴田、92年&93年はスタン・ハンセンであったが、94年に川田利明が四天王初の優勝を果たすと、95年は三沢光晴、96年は田上明、97年は川田、98年は三沢、99年はベイダー、00年は小橋健太(当時)と、90年代の全日本マットを盛り上げた4人が、歴代優勝者に名を連ねた。


 特に印象的であったのが、97年4.19東京・日本武道館で行われた優勝決定戦であろう。この年はリーグ戦の結果、川田、小橋、三沢の3選手が同点で並び、史上初の巴戦が行われたのだが、これが思わぬドラマを生むことになった。まず最初に公開抽選式により、巴戦の組み合わせが決定。第1試合では三沢と小橋が当たるも、30分では決着がつかず、時間切れ引き分けという結果に。すると、インターバルなしで第2試合が開始となり、すでに疲労困憊の三沢と、これが1試合目となる川田が対戦。立ち上がることすらままならない三沢に対し、川田は渾身のパワーボムを発射し、さらに、全体重を乗せてのしかかる体勢でフォール。3カウントがたたかれ、これが川田にとって三沢からのシングル初勝利となった。その直後、小橋も激闘からわずか10分足らずで再出陣し、第3試合がスタート。だが、体力差は明らかで、20分超えの末、川田がジャンピングキックで勝利し、2度目の優勝を飾っている。


 ちなみに、筆者はプロフィールにもあるように四天王プロレス世代直撃であり、この97年の優勝決定戦も武道館で生観戦しているのだが、川田ファンとして、とてもいたたまれない気分になったことは、今でも鮮明に覚えている。


 また、00年もまた、ファンにとっては印象深い大会となったのではないだろうか。


 同年6月に三沢らほとんどの選手が全日本を離脱し、8月に「プロレスリング・ノア」を旗揚げしたため、結果的に当時の所属選手の多くが最後の出場となったCCでは、75年以来となるトーナメント形式を採用。3.26愛知県体育館で行われた1回戦では、大森隆男が秋山準からわずか7秒、アックスボンバーでシングル初勝利を挙げ、衝撃を与えた。これまでずっと差を開けられ続けてきた同期のライバルに一矢報いた大森は、その勢いで初の優勝決定戦まで突き進むも、小橋の前に撃沈。小橋はこの年、三冠ヘビー級王者として初優勝を果たし、5.26新潟市体育館では高山善廣を下して初防衛に成功するも、退団のため、断腸の思いで王座を返上している。

「武藤全日本」「秋山全日本」で顔ぶれ変わる

「武藤全日本」最後のCCでは、秋山(中央)が初優勝を飾っている
「武藤全日本」最後のCCでは、秋山(中央)が初優勝を飾っている【t.SAKUMA・佐藤崇】

 大量離脱後の01年から、「武藤全日本」が終わる13年までを「第3期」とすると、出場選手の顔ぶれがガラリと変わり、「生え抜き」から「外様」が隆盛を誇るように。参加10選手中6人が外国人であった01年は、古巣に復帰した天龍源一郎が優勝。武藤敬司らが入団した02年は武藤、トーナメント形式の03年は小島聡が制し、04年は武藤、05年はフリーの佐々木健介が優勝。元新日本勢が歴代覇者に名を連ねた。06年には太陽ケア、07年は武藤が優勝。08年は新日本から参戦した棚橋弘至を優勝決定戦で破った諏訪魔が初優勝。09年&10年は鈴木みのるが2連覇を飾っている。10年の優勝決定戦では、みのるvs.船木誠勝という、元パンクラス因縁対決が実現した。11年は新日本の永田裕志が同年の「NEW JAPAN CUP」に続き、春の2大イベントを制覇。なお、優勝決定戦の相手は、いまや新日本のロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンの一員となったSANADAこと真田聖也であった。12年はケアが6年ぶりの優勝。13年は、ノアを離脱した秋山、潮崎豪ら「バーニング」が参加し、秋山が通算10回目の出場にして初優勝を果たした。その後、武藤ら選手が大量離脱し、同年9月にWRESTLE-1を旗揚げした。

「秋山全日本」での最初となった14年は大森が悲願の初優勝を飾り、その勢いのまま三冠王者にもたどり着いた
「秋山全日本」での最初となった14年は大森が悲願の初優勝を飾り、その勢いのまま三冠王者にもたどり着いた【写真:前島康人】

「秋山全日本」となった14年からの「第4期」では、インディー団体出身&経験の選手たちが大活躍。他団体ファンも呼び寄せることで、さらなる活性化につながった。14年はベテラン・大森が初優勝。優勝決定戦の相手は秋山で、00年の7秒殺の衝撃を見る者に甦らせながら、最後はアックスボンバー3連発で勝利した。15年は曙が初優勝。前年に肺炎を再発させ、途中欠場となった無念を晴らすも、同年11月に退団し、翌年に新団体「王道」を旗揚げした。16年は大日本プロレスの関本大介、17年はフリーの石川修司と、2年連続で外敵が優勝。石川は同年5.21後楽園で宮原健斗を破って三冠ヘビー級王座を戴冠するなど、このCC優勝をきっかけに大きな飛躍を遂げた。

高木裕美

静岡県沼津市出身。埼玉大学教養学部卒業後、新聞社に勤務し、プロレス&格闘技を担当。退社後、フリーライターとなる。スポーツナビではメジャーからインディー、デスマッチからお笑いまで幅広くプロレス団体を取材し、 年間で約100大会を観戦している 。最も深く影響を受けたのは、 1990年代の全日本プロレスの四天王プロレス。

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