“強い”選手になるために必要なこと 元競泳代表主将・山本貴司インタビュー

田坂友暁

水泳を通して学ぶ「社会を生き抜く力」

五輪3大会に出場し、アテネ大会で2つのメダルを獲得した山本監督(左から2人目)。「強くなるのは、本当は苦しいこと」と話しながらも、そのなかで得られる経験の大切さも感じた 【写真は共同】

――13年に近畿大学水上競技部の監督に就任されてからも、『人間性』の大切さを伝え続けてこられたのですね。

 水泳は今しかできないこと。後でやりたいと思っても、年齢的なものだったり環境だったり問題もある。真剣に、水泳に対して向き合って一生懸命に取り組むことができるのは大学までの間だけ。そうやってクラブ活動に対して真剣に取り組んで、自分と向き合って何が得られるのかというと、やっぱり『人間性』なんです。
 大学を卒業したら社会に出て行きますよね。そこでも、たくさん困難なことはありますし、悩むこともたくさんあります。そんな困難に立ち向かえるようになるための力をつけることが、水泳部というクラブ活動を通して学ぶことができる。そしてそれが『人間性』なんだ、ということを伝えています。

 自分が水泳から何を学んだのかと振り返ると、一番はやはり『人間性』に行き着きました。引退した後にも自分に残ったものはそれだ、と。
 どんな結果が出るかはさまざまですが、一生懸命に取り組んだ課程に経験したことはその人に残る、それが自分の人間性になる。それって「自分はこういう人間です」という証しですよね。それが『人間性』なんだと思うんです。
 そして、それが社会を生き抜くための力になる。自分もそうですけど、年齢を重ねていけば重ねるほど、いろいろな問題や困難が自分に降りかかってきます。それを乗り越える力を今、こうやって水泳というものを通して学ぶことができる、乗り越える力を身につけられるんです。

――何かひとつのことに対して真剣に取り組み、努力をする。その経験が、水泳を引退した後に社会で生きていくうえでも大切な『人間性』を身につけることにつながるのですね。そして、それが人として、選手としての強さにつながる。

 強くなるということは、本当はめちゃくちゃ苦しいことです。アスリートというのは、いまだかつて見たことがない景色を見たいがために、日ごろから苦しいことに挑戦していく。そうやって努力を重ねて見たことがない景色に到達したとしても、また次の新しい景色を見にいきたいとなる。そうしたら、今まで当たり前にやってきたこと以上のことをやらないと、さらに上には行けない。その苦しいことを乗り越えて上に行けても、またさらに上を目指すために、さらに苦しいことに挑戦していく。

 そうやって延々と自分をどんどん成長させたり強くさせたりしていくのが、アスリート。めちゃくちゃハードですよね。延々と苦しいことをやり続けないといけない。でも、今まで「もう無理だ」と思っていたことにも挑戦していかないと、次には進めません。そうやって苦しいことに立ち向かっていくためには、『覚悟』が必要。強くなるということは、そういうことなんです。

――山本監督は現役時代、どのような『覚悟』を持っていたのですか?

 僕はずっと「自分より強い人を倒したい」と思って追いかけていただけですから、楽でしたよ(笑)。日本のなかにも日本一の選手がいて、その前にも強い選手が何人もいて。そこまで上り詰めるために、自分の身近にライバルを見つけて「そいつに勝ちたい!」と頑張って練習して、勝てたら「次はあの選手に勝ちたい」ということを積み重ねてきました。するとだんだん日本の頂点が見えてきて、日本のトップになったら、次は本格的に世界を見るようになって。自分よりも速い選手に「勝つんや! そのために練習するんや」という覚悟の持ち方でしたね。

成功も失敗も「たくさん経験することが楽しいじゃないですか」

――山本監督は現役時代、悩んだり迷ったりすることはなかったのでしょうか?

 ありましたよ。シドニー五輪が終わってからが一番悩みましたね。目標としていたメダルを取れなくて、でも大学4年生という節目でしたから、きっぱりやめて新しいスタートを切ろうか、それとも水泳を続けてもう一度メダルにチャレンジするか。ずっと悩み続けていたので、気付いたら年が明けてましたよ(笑)。だから2001年の1月ごろですね。そこでやっと「やっぱり五輪のメダルにチャレンジしよう」と決めて、泳ぎ始めました。シドニー五輪までの4年間で、どれだけ練習が辛いかとか苦しいかとかは分かっていますけど、それでも4年後にメダルを取る、と動き出したわけですから、もう覚悟を決めていますよね。だからめちゃくちゃ練習も頑張れました。
 僕たちの時代は、ほとんどの選手が大学で引退していましたから、ここからアテネ五輪までの4年間はそうとう辛い、苦しいもんなんだ、ということは分かっていました。でも、それよりもメダルがほしい、という気持ちのほうが強かったですから、そういう苦しいことを乗り越える覚悟を持てたのだと思います。

――そういう意味では、アテネ五輪というのはとてもまとまった、全員で世界と戦う覚悟を持ったチームでしたね。

 そうですね。自分が中心になってチームを引っ張っていたというよりは、周りのスタッフの方々がいたから、ああいう良いチームになったんだと思っています。
 例えて言えば、学校のひとつのクラスみたいでしたね(笑)。学校長がいて、担任の先生、科目の先生がいて、いろいろな生徒がいて。自分がその学校の生徒会長、みたいな感じかな(笑)。
 だから、自分がキャプテンとして何かをしようとしたわけではありません。僕は、先に話したように、チームの誰よりも結果を残したと言われる選手になりたいと決めて、死ぬほど努力はしました。そういう姿を見て、ほかの選手たちも自然と頑張ろうと思ってくれたのだと思いますし、それをスタッフの方々がサポートして環境を整えてくれたのだと思っています。

 結局、水泳は個人競技です。誰かのプレーに影響を受けるわけではないですし、自分がどれだけ練習を頑張ったか、努力をしてきたか、ということが結果に出るだけですから。結果が出ないということは、自分の努力が足りないだけですよね。誰のせいでもありません。

 自分がどれだけの『覚悟』を持って、努力し続けることができるか。それを積み重ねていくことで自分の『人間性』を高めていく。そして、自分を信じる『信念』を持つこと。信念を持って、努力し続けること。そういう姿を見せ続けていくと、自然と応援してくれる人たちが増えていき『結果』を残すことができる。そういう個人が集まったときに、大きな結果を残せる『チーム』になる。
 その繰り返しで経験したことが、また自分の『人間性』を高めることにつながる――。

 そうやって成功も失敗も含めて、たくさん経験することが楽しいじゃないですか。人生ってそういうことの繰り返しだと思いますし、水泳はそれを経験として学ばせてくれるものだと、僕はそう思っています。

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著者プロフィール

1980年、兵庫県生まれ。バタフライの選手として全国大会で数々の入賞、優勝を経験し、現役最高成績は日本ランキング4位、世界ランキング47位。この経験を生かして『月刊SWIM』編集部に所属し、多くの特集や連載記事、大会リポート、インタビュー記事、ハウツーDVDの作成などを手がける。2013年からフリーランスのエディター・ライターとして活動を開始。水泳の知識とアスリート経験を生かした幅広いテーマで水泳を中心に取材・執筆を行っている。

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