平昌パラは村岡桃佳の大会だった 目の当たりにした覚醒の瞬間
自分の殻を破った10日間
閉会式では、日本選手団の代表として他国・地域の選手たちと入場 【写真は共同】
この経験が原動力となり、競技への取り組み方が変わっていった。国立スポーツ科学センター(JISS)の協力もあり、フィジカルトレーニングを積極的に実施。チェアスキーなどの道具を自分で調整し、「大丈夫」と確信を得るまでやり続けるこだわりを持つようになった。大学進学とも重なり、より多くの人と関わる機会を得て、人間的な成長も見られた。
4年間で取り組んできたこと全てが平昌での覚醒につながり、大会期間中もレースを重ねる度に安定感に磨きがかかった。その覚醒していく様をこの目で見届けられたことは、筆者にとっても尊い経験だったと感じている。
「ソチからの4年間で成長できたところもたくさんある。この大会は約10日間という短い期間でしたけど、たくさんの成長をさせていただきました。(自分の殻を破ることができたか?)そう信じています」
“銀メダル締め”の夜に行われた閉会式では、開会式に続き旗手の大役を務めた。開会式では大勢の選手団を引き連れて先導したが、今回は選手団代表として1人でスタジアムの中へ。150センチの小さな背中が、大柄の他国選手に負けない存在感を放っていた。
これからは“追われる立場”へ
「選手村で先輩方と話したときに『桃佳、これからが大変だぞ』と言われて。これからは追われる立場になりますし、新しい選手も出てきて厳しい戦いになると思う」と覚悟はしつつも、「自分らしく滑っていきたいし、まだまだ成長段階だと思っている」と自信をのぞかせる。
武器であるカービングターンに磨きをかけること、苦手な回転で練習を重ねてタイムを伸ばすこと。やるべきことはまだまだある。ソチではアナ・シャフェルフーバー(ドイツ、今大会も滑降とスーパー大回転の二冠)が5種目全てで頂点に立った。次回22年の北京では、その再現が一つの目標となるだろう。
村岡桃佳、21歳。平昌では燦然(さんぜん)と輝く記録を残した。それでも、今はまだチェアスキー人生の道の途中。これからさらなる輝きを求めに行く。
(取材・文:加賀一輝/スポーツナビ)