高速レースの展開となった東京マラソン 日本人6人が2時間9分切りで明るい兆し

K Ken 中村

東京マラソン2018を優勝したチュンバ。4年ぶり2度目で、複数優勝は東京マラソン初となった 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】

 25日に開催された東京マラソン2018では、設楽悠太(Honda)が2時間6分11秒で16年ぶりに日本記録を更新し2位に入った。一方、男女の優勝者については、2014年の東京マラソンで優勝したディクソン・チュンバ(ケニア)と、2015年の東京マラソンの覇者であるベルハネ・ディババ(エチオピア)が制している。東京マラソンでは今まで複数回優勝した選手はいなかったので、二人は共に歴史を作ったのである。

 それだけではない。チュンバの優勝記録である2時間5分30秒は、昨年ウイルソン・キプサング(ケニア)が記録した2時間3分58秒の大会記録に次ぐ東京マラソン歴代2位の素晴らしいタイム。「2時間4分台を出すことはできなかったけど、タイムには満足している。でも来年は2時間4分台を出して見せる」とレース後の記者会見でチュンバは誓った。

キプサングが途中棄権もチュンバが後半強さ見せる

世界記録には及ばないものの、よいペースでレースは展開し、昨年に次ぐ優勝タイムとなった 【写真:つのだよしお/アフロ】

 今年のレースは昨年のような速すぎるペース(最初の5キロを14分15秒)ではなかった。5キロは14分47秒、10キロは29分38秒、そして15キロは44分36秒のペースだったが、世界記録を狙うには遅すぎるペースだった。デニス・キプルト・キメット(ケニア)が2014年9月のベルリンマラソンで世界記録を樹立した時には、15キロを44分10秒で通過している。

 アクシデントは15キロ過ぎに起こった。大会記録保持者のキプサングが先頭集団から遅れ始め、16.5キロでは歩き出してしまったのだ。そして間もなく途中棄権を余儀なくされたのである。優勝したチュンバはキプサングが遅れたのを気がつかなかったと言う。先頭集団はハーフマラソン地点を62分44秒、そして30キロを1時間29分20秒で通過した。

 その30キロでペースメーカーが止めた直後、チュンバがペースを上げた。35キロまでの5キロを14分51秒でカバーしたのである。

 チュンバにつけたのはケニアのアモス・キプルトとギデオン・キプケテルの2人だけだった。しかし、35キロ過ぎにチュンバが更にペースを上げると2人共離れてしまう。チュンバは35キロから40キロの5キロを14分44秒でカバーしたが、ほかの選手は誰も15分を切ることができなかったのだ。そしてチュンバは2時間5分30秒で圧勝を果たした。

設楽は初の公認フル&ハーフ記録保持者に

設楽は公認となってからは初のフルとハーフの日本記録保持者となった 【写真:つのだよしお/アフロ】

 2位には35キロでの7位から40キロ過ぎには2位まで上がった設楽が2時間6分11秒の日本記録で入った。高岡寿成(現カネボウ監督)が02年シカゴマラソンで記録した2時間6分16秒の日本記録を5秒更新した。その高岡は「設楽君が日本記録を更新できた理由のひとつは今回彼が先頭にかなり近いところでレースを進められたことだ」と分析した。

 設楽に続きアモス・キプルトが2時間6分33秒で3位、昨年2位だったキプケテルが2時間6分47秒で4位、そして井上大仁(MHPS)が2時間6分54秒で5位に入った。

 5人のランナーが2時間7分を切り、計10人のランナーが2時間9分を切るという日本で行われたマラソンとしては最も多くのランナーが2時間7分と2時間9分を切るレースとなったのである。それまでは、14年と17年の東京マラソンで4人が2時間7分を、そして9人が2時間9分を切ったのが最高だった。

 昨年ハーフマラソンの日本記録を樹立した設楽は、ハーフマラソンとフルマラソンの両種目で日本記録を同時に保持する選手となった。これはハーフの日本記録が公認されるようになってから初めて両種目の日本記録を保持する選手となったのだ。(注:1980年代後半に旭化成の児玉泰介が同時にハーフマラソンとフルマラソンでの日本選手による最高タイムを保持していたことはあるが、当時はハーフマラソンの日本記録は公認されていなかった)

木滑、宮脇、山本、佐藤が初のサブ10

ディババの優勝タイムである2時間19分51秒。これも昨年のタイムに次ぐ記録となった 【写真:つのだよしお/アフロ】

 一方、女子のディババの優勝タイムである2時間19分51秒も、昨年サラ・チェプチルチル(ケニア)が記録した大会記録2時間19分47秒に次ぐ東京マラソン歴代2位のタイムである。

 それだけではない。ディババは2時間20分を切った26人目の女子マラソンランナーになったのである。20キロではルティ・アガ(エチオピア)、エイミー・クラッグ(米国)、ビルハネ・ディババそしてシュレ・デミセ(エチオピア)の4人だった先頭集団は、30キロ前にはデミセが遅れ3人となった。「天候は絶好のマラソン日和、そして私の足も絶好調だった」と言うディババは30キロから35キロまでの5キロを16分26秒でカバー、そのスピードにクラッグがついていけず、レースはディババとアガの一騎打ちに。「35キロでは勝てると思った」と言うディババはさらにペースを上げ、35キロから40キロを16分22秒でカバー。

 一方アガはこの5キロに17分以上掛かってしまい、優勝争いから脱落した。最終的にはディババは2時間19分51秒の好タイムで優勝、アガは2時間21分19秒で2位に入った。3位には自己ベストを5分以上縮める2時間21分42秒を記録したクラッグが入っている。アガのタイムは東京マラソン歴代3位タイ、そしてクラッグのタイムは東京マラソン歴代6位だった。それだけではない。クラッグのタイムは東京マラソンでの3位のタイムとしては最速、4位のデミセのタイム、2時間22分07秒は東京マラソンでの4位のタイムとしては最速である。

 この大会では設楽、井上、木滑良(MHPS)、宮脇千博(トヨタ自動車)、山本憲二(マツダ)、そして佐藤悠基(日清食品グループ)の6人がマラソン・グランド・チャンピオンシップ(MGC)への参加資格を得た。注目すべきは設楽と井上以外の4選手にとってこれが初めてのサブ10(2時間10分切り)だったことである。

 日本マラソン界の未来には一気に明るい光が差し始めたと言える。
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著者プロフィール

三重県生まれ。カリフォルニア大学大学院物理学部博士課程修了。ATFS(世界陸上競技統計者協会)会員。IAAF(国際陸上競技連盟)出版物、Osaka2007、「陸上競技マガジン」「月刊陸上競技」などの媒体において日英両語で精力的な執筆活動の傍ら「Track and Field News」「Athletics International」「Running Stats」など欧米雑誌の通信員も務める。06年世界クロカン福岡大会報道部を経て、07年大阪世界陸上プレス・チーフ代理を務める。15回の世界陸上、8回の欧州選手権などメジャー大会に神出鬼没。

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