【新日本プロレス】オカダがSANADAの挑戦を退けV10達成 記録よりもIWGPへ強い思い入れ示す

高木裕美

SANADAを下しV10を達成したオカダ 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 10日の新日本プロレス「THE NEW BEGINNING in OSAKA」大阪・大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪)大会では、CHAOS対ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンによるシングル5番勝負などが行われ、チケットは事前にソールドアウト、札止めとなる5481人を動員した。

 メインイベントのIWGPヘビー級選手権試合では、“レインメーカー”オカダ・カズチカが30分を超える激闘の末にSANADAを下し、2ケタの大台に乗る10度目の防衛に成功。棚橋弘至の持つV11の最多記録にあと1と迫った。

「2月の大阪」「棚橋のV11」は、共にオカダにとって運命的なワードである。オカダは6年前、米国TNAから凱旋帰国し、12年1.4東京ドームで自ら「レインメーカー」を名乗ると、当時のIWGP王者であった棚橋に挑戦表明。同年2.12大阪で組まれたタイトル戦で棚橋を破り、棚橋がこれまで築き上げてきた最多連続防衛記録に「V11」でストップをかけると同時に、史上2人目の若さでIWGP王座を初戴冠した。故・橋本真也さん(V9)や永田裕志(V10)の記録を抜き、“絶対的エース”に君臨していた棚橋を、ほぼ無名の若手が玉座から引きずり下ろしたこの一戦は「レインメーカーショック」を引き起こし、新日本マット、ひいてはプロレス界に革命をもたらした。

「IWGP=オカダというイメージになってきた」

最後はレインメーカーでしとめた 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 あれから6年。いまや、オカダ自身が新日本の象徴的エースへと成長し、歴代の先輩たちと記録でも肩を並べる実績を得た上で迎えた「2月の大阪」。迎える相手は、共に30歳の同級生となるSANADAとなった。

 現IWGPタッグ王者のSANADAは、約13年前、新日本の入門テストを受けるも落選し、「武藤塾」から全日本プロレスに入門。その後、国内外の団体をわたり歩き、約2年前から新日本マットを主戦場としている。

 全日本での若手時代から、そのプロレスセンスに高い評価を得ていたSANADAは、オカダが爆弾を抱える首を狙い、花道でパイルドライバーを繰り出すと、さらに、オカダのお株を奪う打点の高いドロップキックからのプランチャ。20分過ぎにはTKO、飛びつき式ドラゴンスリーパーからSkull Endで締め上げ、さらにタイガースープレックス、掟破りの逆レインメーカーを見舞っていく。

 だが、オカダもお返しとばかりにドラゴンスリーパーを見せると、ドロップキック2連発。SANADAはなおもSkull Endからラウンディングボディープレスを繰り出すが、1発目はオカダがカウント2ではね返し、2発目はヒザ剣山でブロック。すかさず返す刀でレインメーカーをお見舞いすると、さらにジャーマンスープレックス、旋回式ツームストンからのレインメーカーでフィニッシュを決めた。

 試合後、マイクを握ったオカダは、まずは「SANADAさん、なかなか手ごわかったよ」と対戦相手をたたえながらも、「EVILも内藤さんもSANADAさんも強い。でも、オレの方が何十倍も何百倍も何千倍も強いんだよ」と自身が最強であると強調。続いて、「次はNEW JAPAN CUP。もうある程度倒したよ。誰でもいいぞ。このオレに、このベルトにかかってこい」と、最多記録タイとなるV11戦の相手を募集。続いて、「旗揚げ記念日、久しぶりにヘビーvs.ジュニアヘビー級チャンピオンをやりたい」と、3.6大田区総合体育館でのウィル・オスプレイ戦を要求した。

 バックステージでCHAOSの仲間たちと祝杯をあげたオカダは、V10という記録について「2ケタ行ったな。新記録を目指していたわけでもないけど、防衛回数より、今日みたいな激しい戦いをして伝えていくことが大事。プロレスラーのすごさを見せていきたい。記録は誰かに破られるもの」と、数字へのこだわりは見せず。それよりも「IWGP=オカダというイメージになってきたと思う。オレが巻いてなきゃ、IWGPじゃないというぐらい、思い入れはある」と、ベルトに対する強い思い入れを主張した。

オカダは旗揚げ記念日にオスプレイと対戦

ヘビー王者vs.ジュニア王者の戦いが大田区総合体育館で 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 また、オカダは、3.6旗揚げ記念日でのオスプレイ戦についても言及した。かつてオカダは14年の旗揚げ記念日でも、当時のIWGPジュニアヘビー級王者であった飯伏幸太とのIWGP王者対決を実現。昨年も自らの希望で、タイガーマスクWとのノンタトル戦を行っている。

 オスプレイとは、オカダが15年10月にイギリス遠征をした際に対戦し、その素質に惚れ込んだオカダが新日本入りを推薦。CHAOSのメンバーとして翌16年3月に新日本マットに初登場すると、同年6月の「BEST OF THE SUPER Jr.」でいきなり優勝を果たし、新日本ジュニアのトップに食い込んだ。

 オスプレイに対し、「新日本らしい、気持ちのこもった試合ができる。弟のようでもあるし、一番認めている。プロレス界一番の選手」と絶賛したオカダは、「旗揚げ戦のアントニ猪木対カール・ゴッチ。これが、今の時代ではオカダ・カズチカvs.ウィル・オスプレイ」と、46年前の1972年3.6大田区総合体育館で行われた旗揚げ戦のカードを引き合いに出し、新たな伝説のカードの誕生を見せるべく、胸を張った。

後藤がEVILを昇天させNEVER王座防衛

後藤がEVILの除霊に成功!? 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 NEVER無差別級選手権試合では、後藤洋央紀がEVILを下しベルトを死守した。

 後藤とEVILはこれまで3度シングルで対戦しているが、そのうち2度は大阪が舞台となっている。初対決は15年11.7大阪。内藤哲也のパレハ(相棒)として登場したEVILの凱旋試合で対戦するも、内藤の乱入により後藤が反則勝ち。2度目は翌16年5.3博多で、EVILが「EVIL(変型大外刈り)」で勝利。3度目は同年6.19大阪城ホールで、今度は後藤がGTRでリベンジと、対戦成績は後藤の2勝1敗となっていた。

 直前の2.6後楽園大会では、IWGPタッグ王座を賭け、SANADA&EVIL組vs.オカダ&後藤組という、大阪のダブル前哨戦も兼ねて激突。だが、後藤がEVILのEVILに沈み、タッグ王座奪取とはならなかった、

 かつては渡辺高章というヤングライオンをかわいがっていた後藤は、今や悪の色に染まりきったEVILから「除霊」をすべく、首に数珠をかけて登場。だが、EVILはお構いなしに後藤へイス攻撃を見舞うと、後藤はEVILが場外に積み上げたイスを利用し、その上へブレーンバスター。EVILは後藤が持参した数珠で殴打し、「効かない」とばかりにアピールするが、後藤も数珠を首にかけたまま牛殺しを見舞うと、手を組み、強く念じてからキック。ラリアットの相打ちで口から出血してもひるまず、EVILのダークネスフォールズ、ラリアットをカウント2ではね返した上で、頭突き、裏GTR、GTRで“昇天”させた。

 2年前の16年2.11大阪で、後藤は実に8度目となるIWGPヘビー級王座挑戦にあたり、白使を彷ふつとさせる写経ペイント姿で登場し、オカダに挑むも玉砕。今回は奇をてらわず、数珠だけのシンプルないで立ちではあったが、見事にEVILを倒してみせた。とはいえ、後藤は2年半前の大阪でも、対EVIL戦で「除霊」をテーマにしており、EVILに対し、後藤の代名詞ともいえる滝行まで薦めていたが、結果は後藤勝利にもかかわらず、EVILの邪悪度は増し、同年の11月には後藤の盟友・柴田勝頼からNEVER王座を奪取するなど、かえってパワーアップさせてしまっている。果たして、今度こそ「除霊」は成功しているのか。今後のEVILと、後藤のさらなる変化に注目だ。

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著者プロフィール

静岡県沼津市出身。埼玉大学教養学部卒業後、新聞社に勤務し、プロレス&格闘技を担当。退社後、フリーライターとなる。スポーツナビではメジャーからインディー、デスマッチからお笑いまで幅広くプロレス団体を取材し、 年間で約100大会を観戦している 。最も深く影響を受けたのは、 1990年代の全日本プロレスの四天王プロレス。

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