五輪選手のプレッシャー克服法は? 【対談】藤森由香×小塚崇彦 前編
スノーボードの藤森由香(左)と元フィギュアスケーターの小塚崇彦さんが対談。五輪の思い出やプレッシャーの克服法などを語り合った 【坂本清】
一方、元フィギュアスケーターの小塚崇彦さんは、10年のバンクーバー五輪に出場して8位入賞。15年の全日本選手権を最後に競技生活から退いた。現在はプロスケーターとしてアイスショーなどに出演しながら、所属するトヨタ自動車や日本オリンピック委員会(JOC)の活動に参加するなど、スポーツの普及に取り組んでいる。
今回が初対面だという2人に、五輪での思い出やプレッシャーの克服法、競技性の違いなどについて語り合ってもらった。
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最初の五輪は余裕が全くなかった
藤森が初めて出場したのはトリノ五輪。とんとん拍子に決まったこともあり、準備できる状態ではなかったと振り返る 【写真:アフロスポーツ】
藤森 トレーニング環境も当時、日本にはなく、実際のコースの練習もあまりしたことがない状態で、大きいスケールのコースは世界大会に出て練習するような現場でした。そんななかで五輪がとんとん拍子に決まったのですが、はっきり言って準備できる状態ではなかったです。
小塚 僕はバンクーバー五輪しか経験していないので、いつの間にか終わっちゃったなという、たぶん最初の五輪にありがちな感じだと思います。2回、3回と経験するとちょっと期間中でも余裕が出てくると思うんですけど、余裕なく終わったというのが正直なところです。
藤森 私も余裕は全然なかったです。でも一番印象に残っているのは最初の五輪なんですよね。とんとん拍子に決まったというのはあるんですけど、やっぱりどうしてもあたふたしますよね。
小塚 それは環境が違うからとかじゃなく、お客さんがたくさんいるから? いつもの国際大会で違うところはありましたか?
藤森 もうガラッと違いましたね。五輪だけは全然雰囲気も違うし、想像がつかなかったんですよ。メディアの数も違うし、注目度も違う。そういった中で自分自身をキープするのがけっこう難しかったなと。
小塚 僕は長野五輪を見にいっていて、そのときの雰囲気はちょっとだけ覚えていたんです。ただ、フィギュアスケートは応援のときにパーっという音が鳴らない。応援は基本的に拍手だけなんですよね。長野五輪と応援の仕方が違うというか、雰囲気が違うなと思ったのは覚えています。
バンクーバー五輪に出場した小塚さんは、「いつの間にか終わってしまった」と回顧する 【写真:ロイター/アフロ】
藤森 ソチ五輪は事前にテロがあったので、正直いろいろと警戒していました。実際は安全でしたけど、ロシアに行って、選手村に入ったときにエレベーターが何回も壊れるんですよ(笑)。五輪の施設は急きょ建てた建物だから、しっかりしていない部分も多くて……。エレベーターにも閉じ込められました。
小塚 バンクーバーは山と平地で泊まっているところが違ったじゃないですか。平地の方はすごく良い場所で、たぶん2LDK・3LDKとか、普段分譲で売っているところを選手村として使っていたので、ものすごくきれいでした。
藤森 そうですね。私も街のマンションのようなところに泊まっていました。でもその家も何もなかったんですよ(笑)。ベッドだけ置いてあるコンクリートで造っただけの家で、すごく広くてきれいだけど、生活感ゼロでした。
小塚 僕が印象に残っているのは、普段の生活もそうですけど、閉会式ですね。開会式は出なかったのですが、閉会式に出て、いろいろなアーティストが歌ったり踊ったりしている中、みんな寝ていたという(笑)。疲れ果てて寝ていたんです。気が付いたら(聖火の)火が消えていました。「火が消えたよ」と起こされたという感じです。
藤森 オリンピアンはけっこう過密スケジュールですよね(笑)。