1964大会を走った片腕の聖火ランナー 東京大会をつなぐ思い

1000 DAYS TO GO! COLLECTION 編集部
 オリンピックで恒例となっているのが、ギリシャのオリンピアで灯された炎を会場まで送り届ける聖火リレーです。1964年の東京オリンピックでも多くの一般市民が参加しましたが、その中に片腕というハンデを抱えながらも陸上に打ち込んでいたひとりの高校生がいました。当時、高校1年生だった梅田道広さんです。最初は走る予定ではなかったそうですが、教育委員会の方の推薦によって本番1カ月前に選出されたそう。見事大役を果たした梅田さんに、その時の様子や東京2020オリンピック・パラリンピックについて伺いました。

まさか自分が、という驚き

県大会スウェーデンリレーで優勝した際の梅田さん(左上) 【写真提供:梅田さん】

――当時は高校の陸上部に所属されていたそうですが、陸上を始めたきっかけを教えてください。

 実はもともと野球が好きだったんです。甲子園の常連校として有名な京都の平安高校野球部に憧れていました。ところが小学4年生の時に怪我をして野球を断念しなければならなくなってしまい、足の速さに自信があったので陸上の道へと進みました。中学生の時は400メートル、高校生の時には200メートルと400メートルの選手として日々練習に打ち込んでいましたね。

――どれくらい練習をされていたんですか?

 顧問の先生の指導のもと放課後に汗を流していただけでなく、部活のない日曜日も自主トレを行っていました。負けん気が強かったこともあって、近畿大会での上位入賞を目指して、とにかく毎日走ってばかり。健常者と一緒に走れる喜びも感じていましたが、今思えば、ハンデがあることに対して負けたくないという思いがあったのかもしれないですね。

陸上大会で走る梅田さん(先頭) 【写真提供:梅田さん】

――練習に励む日々の中、東京オリンピックの聖火ランナーに選ばれた時のお気持ちをお聞かせください。

 最初は選ばれていなかったのですが、ハンデがありながら中学、高校で陸上に取り組む選手がいるということで、大津市の教育委員会の方の目にとまり、私に声がかかりました。選ばれた時はまさか自分がという驚きがありましたし、選ばれたからにはしっかり走ろうと思いましたね。

 聖火ランナーとして走ると決まってから、本番まではわずか1カ月足らず。当時は聖火を灯したトーチを持って走る正走者、予備のトーチを持つ副走者、そのあとに走る随走者からなる、総勢20名ほどがひとつのグループをつくって走り、私は副走者を担当しました。本番までにはその隊列を乱さないように走る全体練習が1〜2回ほどあっただけ。あとは当日を迎えるのみでした。

――聖火ランナーとして走っている時はどんなことを考えていましたか?

 私が走った6区は、その日最初に走る区間でした。そのためスタート地点の県庁では、正走者が県知事から聖火をトーチに点火されるというセレモニーがあって、走る前から緊張していたことを覚えています。区間の距離は2キロほど。当日は副走者として予備のトーチを持って走りましたが、陸上をやっていましたので、走りきることに対しての不安はなく、とにかく隊列を乱さないことだけに集中していたように思います。レースとはまったく違う緊張感で、多くの人たちが沿道から声援を送ってくれましたが、まったく耳に入りませんでした。

無事に走り終わった時は、ホッとした

1964年大会の聖火リレーの様子 【写真:アフロ】

――走り終わった時はどんなお気持ちでしたか?

 区間の最後に上り坂があって、そこがキツくて。無事に走り終わった時は“やれやれ、ようやく終わった!”とホッとしたことを覚えています。むしろ、当時を思い出している今のほうが感慨深いですね。すごいことをやらせてもらったんだなあと思います。聖火ランナーとして走り終わったあとはすぐに解散となり、家に帰ると近所のおばさんや子どもたちに声をかけられました。ユニフォーム姿に着替えてみんなと記念写真を撮らせてもらいましたね。またおばさんには東京オリンピックの記念硬貨として発行された1000円銀貨を“買うといたから”と言われながら頂けてうれしかった思い出があります。写真と記念硬貨は今でも大切に保管してありますよ。

――無事に大役を果たした東京オリンピックですが、大会自体にはどんな思い出がありますか?

 大会が始まると、体育の授業がすべて東京オリンピックのテレビ観戦になりました。当時は今と違って世界の一流選手を見る機会はほとんどありませんでしたから、本当に感動しました。特に陸上はすごいと思いましたね。実は東京オリンピックのマラソンで金メダルを獲得したアベベ選手が、その後、びわ湖毎日マラソンを走った時に沿道でその姿を見ましたが、ものすごく速かったです。一瞬で目の前を通り過ぎました。当時、自転車でもついていけるかな〜? と友達と話した記憶があります。

――東京オリンピックの会場には足を運ばれましたか?

 招待していただけたので、国立競技場で陸上を観戦することができました。会場に到着すると、競技場がどデカイことにただただ度肝を抜かれました。すり鉢型になっていて、上から陸上のトラックを見下ろした時に、一度でいいからここで走ってみたいなあと思いましたね。とにかくオリンピックの舞台、その雰囲気に感動したことを覚えています。

2020年には街全体がバリアフリー化してほしい

NHK「おはよう日本」、「NHK NEWS WEB」などで紹介 【画像提供 NHK】

――2020年には再び東京でオリンピック、パラリンピックが開催されますが、今から楽しみにしていることや期待されていることはありますか?

 生きている間に自国で開催される夏季のオリンピック・パラリンピックを2回も観られるなんて、本当にありがたいことだと思います。競技ではやっぱり陸上に興味がありますね。特に100メートルでは桐生祥秀選手が9秒98で走ったので、このまま順調にいけば、日本人がファイナリストに残れるかもしれない。ほかにも9秒台で走れる可能性のある選手が何人かいらっしゃるので大いに期待しています。男子4×100メートルリレーも楽しみですね。

 運営面でいえば、せっかく東京でパラリンピックが開かれるので、競技の会場だけでなく、東京の街全体ができる限りバリアフリー化を実現してほしいと思います。会場へのアクセスも含め、パラリンピアンの皆さんが余計なことに気を取られることなく、競技に集中できる環境を整えてあげてほしいですね。

――東京2020オリンピック・パラリンピックに向けて、個人的に挑戦してみたいことがあれば、教えて下さい。

 1964年に聖火ランナーのひとりとして走った自分ですが、チャンスがあれば、短い距離でもいいからもう一度トーチを持って走ってみたいです。もし実現したら、こんなにうれしいことはないですね。

(文:石川博也)

◆NHK NEWS WEB 「11/10 WEB特集 片腕の聖火ランナー」

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梅田道広(うめだ・みちひろ)

1949年滋賀県生まれ。10歳の時に事故で左上腕を失う。現在は大津市身体障害者更生会の会長として、東京2020に向けた活動も行っている。
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著者プロフィール

「1000 DAYS TO GO! COLLECTION」は、「スポーツナビ」と「Tokyo graffiti」が共同編集するコラボ特設サイトおよびブック。この特別編集コンテンツは、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の開催まで1000日前の節目となる10月28日(土)と11月29日(水)の両日をつなぐ約1カ月間に行われるさまざまなイベントや、そこに集う来場者、アスリート、アーティスト、関係者等あらゆる人々を「1000の出会いと1000の想い」をテーマに取材し、記事化します

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