ロンドンを手本に、東京でも最高の景色を 高桑早生が描く2020年のTOKYO

構成:瀬長あすか
「28歳で迎える東京パラリンピックでは、観客を夢中にさせるパフォーマンスをしたい」。そう決意を語るのは、昨年のリオデジャネイロパラリンピック陸上競技100メートル(女子片膝下切断などのクラス)で決勝に進出し、自身の持つ日本記録を更新した義足のトップランナー高桑早生だ。彼女の見たい「満員の観客席」。それは、“史上最高のパラリンピック”と言われた2012年のロンドン大会で見た光景に由来する――。

ハードの問題を「人」がカバーする日常の光景

東京2020でどのような光景を見たいか――。数々の世界大会を経験してきた高桑選手が自らの言葉で語ってくれた 【写真:築田純】

 7月にパラ陸上の世界選手権でロンドンを訪れました。招集所で会う選手の話題は、2012年に同じ会場で行われたパラリンピックの思い出話。連日、観戦チケットが売り切れ、大成功と言われたロンドンパラリンピックは、私自身、初めてのパラリンピックだったこともあり、印象に強い大会です。

 そのロンドンには、パラリンピックの前年から4度赴いていますが、本大会開催を機に多様性を認めるという雰囲気ができ、月日を重ねるごとに変わっていく姿を見てきました。いまでは安心して競技に打ち込める特別な場所ですね。

 東京がお手本にすべきは、まさにロンドンです。日本もイギリスも、島国であり、歴史的背景からも“違うもの”に対する壁のある国。イギリスは「スーパーヒューマンに会いに行こう」という広告的な仕掛けでパラリンピックに人を引き寄せ、“障がい者への壁”を突破したように思います。日本も似ているからこそ、まねられる部分がたくさんありそうです。

 この7月、ロンドンの地下鉄でこんな場面に出くわしました。ベビーカーを押す若いお母さんが階段を降りようとすると、お母さんは何のアクションもしていないのに、男の人がさっと申し出てベビーカーを運んだんです。古くからの景観を大事にするロンドンは段差が多く、車いすユーザーに不便と聞いていましたが、ハード面の問題を人の手でカバーする日常を目の当たりして、日本が参考にしなきゃいけない部分だなと思わされました。

新・国立競技場で「満員の観客席」が見たい

2012年のロンドン大会では「ゲームズメーカー(大会をつくり上げる人)」と呼ばれるボランティアの人々が活躍。大会を大成功に導き、そのレガシーは今も受け継がれている 【写真:ロイター/アフロ】

 世界選手権ではパワーのあるプロモーションも健在でした。街中ではパラの選手の広告を見かけたし、フリーペーパーを配っている駅もありました。人々を「またあの空間に行きたい」と思わせて、実際に競技場に行けば音楽やMCが観客を盛り上げる。とくに地元選手が登場したときの盛り上がりには圧倒されました。

 そんな経験をさせていただいて、どうやったら日本でもパラスポーツに興味を持ってもらい、会場に足を運んでもらえるかをいつも考えています。

 実は高校生だった2009年に、アジアユースパラ競技大会で国立競技場を走りました。グラウンドから見た客席はガラガラで寂しいものでした。でも、2020年はあのときとは違う景色を見られるといいなと思います。新しい国立競技場で「満員の観客席」は絶対、見たいです。そんな中で皆さんの記憶に残るパフォーマンスができたら最高ですね。

高桑早生(たかくわ・さき)

1992年5月26日生まれ、埼玉県出身。エイベックス所属。中学1年のときに骨肉腫で左下腿を切断。高校で本格的に陸上を始め、2年時にアジアパラユースで100メートル、走幅跳の2冠を獲得。2010年アジアパラリンピック100メートルで銀メダルに輝き、12年ロンドンパラリンピックでは100メートル、200メートルともに決勝進出。14年アジアパラ競技大会、100メートルで銅メダル。15年世界パラ陸上は走幅跳で3位。16年リオパラリンピックは走幅跳(5位)、100メートル(7位)、200メートル(8位)と出場3種目すべてで入賞を果たした。クラスはT44。
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著者プロフィール

1980年生まれ。制作会社で雑誌・広報紙などを手がけた後、フリーランスの編集者兼ライターに。2003年に見たブラインドサッカーに魅了され、04年アテネパラリンピックから本格的に障害者スポーツの取材を開始。10年のウィルチェアーラグビー世界選手権(カナダ)などを取材

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