ヤクルト・奥村が狙うショートの定位置 憧れは父の同僚・宮本ヘッドコーチ

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提供:スポナビライブ

17年7月11日、古巣の巨人戦で菅野からプロ初安打を放った奥村 【写真は共同】

 ペナントレースは、セ・リーグは広島が2年連続、パ・リーグは2年ぶりに福岡ソフトバンクが優勝。続くクライマックスシリーズでは、レギュラーシーズンでセ・リーグ3位の横浜DeNAが日本シリーズ出場を果たすなど、さまざまなことがあった2017年のNPB。10月26日にドラフト会議も終了し来季の陣容も整いつつある今、若手選手は1軍での活躍を誓って一日一日を大事に過ごしている。

 そこで、来季1軍で活躍が期待されるホープをピックアップ。今回は東京ヤクルトでプロ入り4年目を終えた奥村展征を紹介する。日大山形高時代は主将として、山形県勢初の夏の甲子園ベスト4を経験。巨人にドラフト指名されるも、1年目のオフに史上最年少でフリーエージェント(FA)の人的補償選手としてヤクルトに移籍。シュアな打撃と堅実なショートの守備で、今年は自己最多の44試合に出場した。

 そんな奥村の、人とは少し異なる野球人生とは? ヤクルトのヘッドコーチに就任した宮本慎也氏を憧れの存在に挙げる彼のここまでを振り返っていきたい。

「野球一家」で育ち、父の縁で山形へ

 滋賀県甲西町(現:湖南市)出身の奥村は「野球一家」の血を引いて育った。

 祖父の展三さんは、参議院1期、衆議院3期を務めあげた政治家としての顔を持つ一方、1968年には、甲賀高(現・水口高)監督として、第40回選抜大会に出場。また、父・伸一さんも83年開校の甲西高に翌年入学すると、85年夏には捕手として甲子園初出場しベスト4へ進出。翌年も開幕戦でホームランを放った。近畿大ではファーストに転じ2年連続で日米大学野球代表に入り、亜細亜大・高津臣吾(ヤクルト2軍監督)や東北福祉大・金本知憲(阪神監督)といった錚々(そうそう)たるメンバーと同じ釜の飯を食べている。

 さらに社会人・プリンスホテル時代には今年の秋からヤクルトコーチに就任する宮本氏と一緒にプレーし、自らも全日本で4番。現在は母校・甲西高の監督を務めている。

 その一方で中学では草津リトルシニア・パンサーズでプレーしていた奥村展征は「父の紹介で」高校では越境入学を決意。実はこれもエリート街道を歩いた父が取り持つ縁からだった。進学先はプリンスホテルでともにプレーした荒木準也監督が指揮を執る日大山形高。そして1年春からレギュラーを獲得した奥村は山形を越え、東北を代表するプレーヤーとしての道を歩き始める。

「最後の夏」で到達した甲子園

 1年夏の県大会では「2番・セカンド」でスタメン出場すると、3回戦の米沢工高戦で4打数4安打、準々決勝の山形城北高戦では4打数3安打と打撃好調。しかし準決勝で、その年の代表となった鶴岡東高に敗れると、1年秋には東北大会に出場するも2回戦で大谷翔平を擁する花巻東高に8対9で敗れセンバツ出場を逃す。

 その後も2年春は東北大会に出場も、2年夏の県大会では「1番・ショート」として決勝まで進出し、5試合で23打数8安打をマークしたにもかかわらず、決勝で酒田南高に敗退。ここまで3度の甲子園出場のチャンスをすべて、甲子園出場チームに阻まれる悔しい経験を味わった。

 最上級生となっても苦難は続いた。奥村は主将に就任するも、2年秋は夏の甲子園出場の酒田南高に県大会準々決勝で再び敗れ、3年春も県大会準々決勝で羽黒高に敗戦。東北大会にすら出場することなく、最後の夏に突入する。

 ただ、悔しさの鬱積(うっせき)は県大会からの快打連発につながった。「4番・ショート」の奥村は攻守の中心としてチームをけん引。決勝の米沢中央高戦でも5打数2安打1打点。チームも3本塁打を放ち7対3で勝利。ついに日大山形高としては6年ぶり、自身初の甲子園出場をつかみとった。

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