“邪道”大仁田、7度目の引退は本当か? プロレスラーの「引退劇場」を振り返る

高木裕美

「またぐなよ!」と言わせた長州をリングに

一度引退を決めた長州をリングに戻したのも大仁田のアピールがあったから 【t.SAKUMA】

 大仁田引退後もFMWはハヤブサらがエースとなって存続。大仁田は俳優業などに従事していたが、徐々に復帰を匂わせる発言が出始め、FMWのリングにも乱入。その時、ファンから「嘘つき」とののしられると、「オレは大嘘つきだよ。だがお前らは今まで一度でも嘘をついたことはないのか!」と開き直り、自ら“ミスター・ライアー”を名乗るなど、完全に“邪道節”を炸裂(さくれつ)。その後、宿敵であったミスター・ポーゴの「引退試合で、ライバルだった大仁田とタッグを組みたい」という呼びかけに応える形で、96年12.11FMW東京・駒沢体育館大会で復帰。あくまで「一夜限り」のはずが、その後もリングに上がり続け、ついには98年11月をもって、自らが創設したFMWを追放されてしまう。

 だが、大仁田は次なるターゲットとして、新日本プロレスに白羽の矢を立てる。

 99年1.4東京ドーム大会では佐々木健介と対戦。この時は通常ルールで対戦し、大仁田が反則負けとなったが、同年4.10東京ドーム大会では、蝶野正洋と「第0試合」でノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチで対戦。8.28東京・神宮球場では武藤敬司の悪の化身グレート・ムタに対し、グレート・ニタとして対戦。なお、ニタも大仁田の2度目の引退前の95年5.1大阪府立臨海スポーツセンターで「引退」しており、大阪南港に眠っていたはずが、“儀式”によってあっさり復活。このニタも何度も引退と復帰を繰り返している。

 また、2000年7.30横浜アリーナでは、98年1.4東京ドーム大会で引退していた長州力を電流爆破のリングに引っ張り出すことに成功。ちなみに、引退前は復帰を否定していた長州もまた、この試合後、なし崩し的に現役復帰している。この一連の新日本との抗争の中では、テレビ朝日・真鍋由アナとの「大仁田劇場」や、長州の「またぐなよ!」など、歴史に残る名場面も生まれた。

初代タイガー、長与、高山を電流爆破へ上げる

因縁のあるUWFの選手たちを電流爆破のリングに上げた大仁田。その中には船木も 【写真:SHUHEI YOKOTA】

 また、99年4月には定時制高校に編入学し「41歳の高校生レスラー」として注目されると、卒業後、01年4月には明治大学(夜学)にも入学。同年7月には参議院議員選挙にも立候補して初当選し、大学生、国会議員、プロレスラー、タレントとして幅広く活動。世間にも大いに顔と名前を知られる存在となった。

 明治大学を4年で卒業した05年3月26日には、午前中に日本武道館で大学の卒業式に出席し、夜には後楽園ホールで「プロレス卒業試合」を実施。これも「引退」であったはずだが、それから1年後の翌年4.1ZERO1靖国神社・奉納プロレスに「大仁田厚提供奉納試合」として出場。この時も「一試合限り」のはずであったが、07年1月には正式にプロレスラーとしての復帰を明言しており、その後も精力的にレスラー活動を継続。10年5.5東京・新木場1stRING大会では6度目の引退試合を行ったものの、同年11月にはあっさりリングに上がっている。

 その後、全日本時代に「ライバル」として意識していた初代タイガーマスクとリアルジャパンマットで抗争を繰り広げたり、全国で「大花火」「超花火」シリーズを展開し、元大相撲第64代横綱の曙、元クラッシュギャルズの長与千種、“帝王”高山善廣らを次々と電流爆破のリングに上げたりと、ド派手に活動をしていたが、14年ごろから「還暦電流爆破をもって一線を引く」と発言し、7度目の引退を示唆。当初は伝説の地・川崎球場(現・富士通スタジアム川崎)での電流爆破マッチを検討していたが、会場の都合で実現せず。自身がデビュー戦及び一度目の引退式を行った思い出の地である後楽園ホールでの10.31引退興行を発表した。

引退3日後に復帰? 引退試合の相手は結局?

お台場大会ではカシンと藤田の攻撃でボロボロにされた大仁田。31日はどんな結末が待っているか 【大仁田事務所】

 だが、9月下旬になって、元・邪道姫こと工藤めぐみエクスプロージョンプリンセス(EP)が、引退試合から3日後となる11月3日に、川崎球場跡地のすぐ近くの会場「カルッツかわさき」での電流爆破マッチ開催を発表し、「ここで引退試合を行ってほしい」とまさかのオファー。大仁田自身は「もし11.3川崎に出場したら、10.31後楽園のチケット代を全額返金する」と復帰の可能性を完全否定したが、この復帰オファー報道で後楽園大会のキャンセルが100枚出るなど、やはり「引退」を疑う向きが多いのは事実だ。

 また、10.31後楽園の引退試合の相手についても、自身の「引退」報道を撤回した藤田が、復帰の際「決着をつけたい相手」として名前を挙げたこともあり、大仁田が「恩師・ジャイアント馬場のライバルであったアントニオ猪木のまな弟子」である藤田に狙いを定め、引退試合の相手に指名。正式発表を待たずに事前ポスターまで作成していた。

 そして10.9東京・お台場野外特設会場大会で、引退試合のカードと同じ6人タッグ戦で、邪道軍vs.はぐれIGF軍が激突。電流爆破ダブルヘッダーとなった大仁田に対し、ストリートファイトスタイルで登場した藤田は、大仁田を電流に被爆させると、さらにカシンとともに有刺鉄線バットで殴打。大仁田はズタボロになりながらも、リング上から藤田へのリベンジを宣言し、翌日に正式な対戦カードを発表した。だが、その後も6人タッグなのか、1対3のハンディキャップマッチとなるのか、まだまだ物議をかもしており、当日まで先が読めない状況だ。

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著者プロフィール

静岡県沼津市出身。埼玉大学教養学部卒業後、新聞社に勤務し、プロレス&格闘技を担当。退社後、フリーライターとなる。スポーツナビではメジャーからインディー、デスマッチからお笑いまで幅広くプロレス団体を取材し、 年間で約100大会を観戦している 。最も深く影響を受けたのは、 1990年代の全日本プロレスの四天王プロレス。

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