MotoGPで「34」が永久欠番の理由 アグレッシブに一時代を築いたシュワンツ

田口浩次

マカオで圧倒も「考えられないレースだった」

94年の日本GPで優勝し、トロフィーを掲げるシュワンツ 【Shaun Botterill/Allsport/Getty Images】

 88年、GP500にフル参戦したこの年、シュワンツはシーズン後にマカオで開催されたロードレース大会に参加している。しかも圧倒的な速さで優勝した。このレースは、コースアウトするとガードレールとコンクリートウォールしかない危険なレースで、GP500の現役トップライダーが参加するなどあり得ないことだった。2006年、マカオのロードレース大会40回記念のゲストとして招待されたシュワンツは、当時のことをこう語っている。

「いまでも分からないのは、あの当時のスズキは、何を考えて僕をマカオで走らせたいと思ったのだろう?(笑) 当時、まだ図体だけでかいガキんちょだった僕でさえ、ガードレールとコンクリートウォールしかない現場に『これ、転んだらどんだけ酷いことになるんだ!?』と思ったよ。しかも、ブラインドコーナーなんかも多くて、コースチェックしたいのに、まったくコースを歩けないまま走行するんだ。考えられないレースだったね(笑)」と。

 しかし、このレースでシュワンツは2つのレグに分かれたレース両方に、ぶっちぎりで勝利を飾っている。しかも、2位以下とあまりに圧倒的な差だったので、レース途中から、コースのあらゆる箇所でマシンをウィリーさせ、最後のチェッカーを受けるときも、長い長いメインストレートをずっとウィリーしたままチェッカーフラッグを受けている。

 06年に、40周年大会のセレモニーに呼ばれたシュワンツと、マカオのホリデーイン前の飲み屋で友人たちと騒いでいるときに出会った。そのとき、現役時代のエピソードを聞いたところ、「あのレースの後、同じく出場していたライダーにも言われたよ。『ラップダウンされる僕たちが見たあなたのライディングは、いつもフロントタイヤを浮かせっぱなしで走ってましたね』って」と陽気に笑いながら答えてくれた。

鈴鹿ではマシンを押してピットまで

 もうひとつ、シュワンツの有名なエピソードとしては、鈴鹿8時間耐久レースを外すわけにはいかないだろう。1989年の鈴鹿8時間耐久レース、ヨシムラ・スズキから出場したシュワンツだったが、レース折り返しの4時間に近づくなか、2位走行中にガス欠という信じられないトラブルに見舞われる。バックストレートでは軽く170キロ以上あるマシンを押し、シケインから先は下り坂の惰性でなんとかマシンをピットまで戻した。

 当時を振り返ったシュワンツは「知ってるか? 鈴鹿のバックストレートは上り坂なんだよ。それで750ccのバイクを押すんだぞ。あの夏は本当に暑くて……、あれは忘れられない。しかもトラブル要因がガス欠だぞ!」と周囲の友人たちも笑わせるようにして、エピソードを語っていた。

 陽気でサービス精神旺盛。気さくなキャラクターは現在も変わらない。ロードレース最高峰初のゼッケン番号永久欠番も納得の人気ライダーである。

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