MotoGPで「34」が永久欠番の理由 アグレッシブに一時代を築いたシュワンツ
マカオで圧倒も「考えられないレースだった」
94年の日本GPで優勝し、トロフィーを掲げるシュワンツ 【Shaun Botterill/Allsport/Getty Images】
「いまでも分からないのは、あの当時のスズキは、何を考えて僕をマカオで走らせたいと思ったのだろう?(笑) 当時、まだ図体だけでかいガキんちょだった僕でさえ、ガードレールとコンクリートウォールしかない現場に『これ、転んだらどんだけ酷いことになるんだ!?』と思ったよ。しかも、ブラインドコーナーなんかも多くて、コースチェックしたいのに、まったくコースを歩けないまま走行するんだ。考えられないレースだったね(笑)」と。
しかし、このレースでシュワンツは2つのレグに分かれたレース両方に、ぶっちぎりで勝利を飾っている。しかも、2位以下とあまりに圧倒的な差だったので、レース途中から、コースのあらゆる箇所でマシンをウィリーさせ、最後のチェッカーを受けるときも、長い長いメインストレートをずっとウィリーしたままチェッカーフラッグを受けている。
06年に、40周年大会のセレモニーに呼ばれたシュワンツと、マカオのホリデーイン前の飲み屋で友人たちと騒いでいるときに出会った。そのとき、現役時代のエピソードを聞いたところ、「あのレースの後、同じく出場していたライダーにも言われたよ。『ラップダウンされる僕たちが見たあなたのライディングは、いつもフロントタイヤを浮かせっぱなしで走ってましたね』って」と陽気に笑いながら答えてくれた。
鈴鹿ではマシンを押してピットまで
当時を振り返ったシュワンツは「知ってるか? 鈴鹿のバックストレートは上り坂なんだよ。それで750ccのバイクを押すんだぞ。あの夏は本当に暑くて……、あれは忘れられない。しかもトラブル要因がガス欠だぞ!」と周囲の友人たちも笑わせるようにして、エピソードを語っていた。
陽気でサービス精神旺盛。気さくなキャラクターは現在も変わらない。ロードレース最高峰初のゼッケン番号永久欠番も納得の人気ライダーである。