中上が来季MotoGP参戦で注目度UP 過去の日本人ライダーの活躍を振り返る
現在Moto2クラスで活躍する中上は来季からMotoGPクラスに参戦する 【Photo by Mirco Lazzari gp/Getty Images】
というのも、現在、出光ホンダチームアジアでMoto2クラスに参戦している中上貴晶が、2018年はLCRホンダチームからMotoGPへ参戦することが発表されているからだ。日本人ライダーの最高峰クラスへのフル参戦は、14年の青山博一以来となる。果たして、その中上が母国レースでどんな走りを見せるのか興味は尽きない。
ここで気になるのが、果たして日本人ライダーは“世界選手権でどれほど活躍してきたのか?”ということだ。つい先日終わった世界体操では、男子個人総合で白井健三が3位となり、種目別では床と跳馬で金メダルを獲得した。女子も種目別の床で村上茉愛が金メダル獲得と、大いに活躍した。そして、体操は、柔道に並び、日本は昔から”お家芸”と呼ばれるほどに得意とする競技であり、過去にも多くの日本選手が活躍してきた。モータースポーツの世界において、4輪では日本人の活躍はそこまででないが、1990年代の2輪に目を移すと、意外にも日本人の活躍はとても多かった。
60年代に最初の2輪ブーム
残念ながら最高峰クラスでの世界王者は、日本からはまだ生まれていないが、GP250では3名、GP125では2名(それぞれ2回ずつ獲得)の王者が誕生している。4輪の世界ではF1もF2(GP2含む)も、そしてGP3でも、世界選手権の王者は誕生していない。つまり、2輪は間違いなく日本人が活躍できるスポーツカテゴリーのひとつだと言える。ちなみに、クラスを問わず、世界選手権で優勝した経験を持つ日本人ライダーは32名(※片山敬済はカウントしていない)。
日本での最初の2輪競技ブームは1960年代のこと。伊藤史朗(ヤマハ)や北野元(ホンダ)、高橋国光(ホンダ)らが世界選手権やイギリスのマン島TTなどで活躍した。その活躍を見た作家の大藪春彦が執筆したのが小説『汚れた英雄』(69年)。82年には角川春樹監督、草刈正雄主演で映画化もされている。この映画ではヤマハが協力したことから、主演の草刈正雄の代わりにライダーとしてスタントを務めたのが平忠彦だったことは有名だ。まだ、国内レースで戦っていた平だったが、映画上映翌年の83年に全日本ロードレース500cc王者となり、一気に知名度が上がる。そのまま、84年、85年と3年連続で王者となり、84年からはロードレース世界選手権にも並行してスポット参戦を開始した。
さらには、78年から始まった鈴鹿8時間耐久ロードレースや、81年から85年まで『週刊少年サンデー』で連載されていたバイク漫画『ふたり鷹』(新谷かおる)などがあり、当時の日本は第二次バイクブームの真っ最中だった。しかも、どのバイクメーカーも一番の売れ筋はレーサーレプリカと呼ばれる、フルカウルのレース仕様バイクを模した市販車が販売の中心だった。
この第二次バイクブームと、平忠彦や鈴鹿8時間耐久ロードレースなどの影響を受けた大人たちによって、自分の子供をポケットバイク(通称:ポケバイ)に乗せるブームも生まれた。こうして、幼少から2輪に接することで、雨後のたけのこのごとく、次々と日本人ライダーが誕生していったことが、90年代の日本人ライダーの活躍につながっていった。
現時点で、日本人ライダーとして世界王者経験を持つ原田哲也(93年GP250)、坂田和人(94年、98年GP125)、青木治親(95年、96年GP125)、加藤大治郎(2001年GP250)、青山博一(09年GP250)らは、全員ポケバイを経験している。
このポケバイ世代とはギリギリ重ならない上の世代には、岡田忠之(GP500/4勝、GP250/2勝)、伊藤真一(GP500/最高位3位)、若井伸之(GP125/最高位3位)らもいた。