中上が来季MotoGP参戦で注目度UP 過去の日本人ライダーの活躍を振り返る

田口浩次

93年から日本勢が大活躍

1993年にGP250に参戦し、いきなりチャンピオンに輝いた原田哲也。写真は1996年のもの 【Mike Cooper/Allsport/Getty Images】

 そしてロードレース界において、日本人の活躍が一気に爆発するのが1993年からだ。GP500は伊藤真一がランキング7位までつけ、GP250では初参戦の原田哲也がいきなり世界王者になる。そしてGP125では、ランキング2、3、5、6位を日本人ライダーが席巻した。

 ここからさらに日本人ライダーは活躍していく。94年はGP500で伊藤真一が引き続きランキング7位。ランキングこそ17位に終わっているが、ノリックこと阿部典史が鮮烈なデビューを果たす。GP250では岡田忠之がランキング2位、原田哲也は7位。そしてGP125では坂田和人の世界王者を筆頭に、ランキング2位に上田昇、3位に辻村猛と、上位を日本人が独占した。そして95年はGP500で伊藤真一がランキング5位まで浮上。ノリックは9位。GP250ではランキング2位に原田哲也、4位に岡田忠之、6位に青木宣篤。そしてGP125は、世界王者に青木治親、2位に坂田和人で、ランキング上位10名のうち6名が日本人ライダーという状態になる。その後も、2001年に加藤大治郎がGP250で世界王者(ランキング2位は原田哲也)になるなど、日本人ライダーによる活躍は続いた。

 だが、残念なことにバブル経済崩壊によるデフレ時代到来と、第二次バイクブームに連動していたポケバイブーム世代が落ち着いてしまう。02年以降は、日本人ライダーが席巻していたGP125で、ランキング上位に日本人の名前は消え、代わりにイタリア人とスペイン人の名前が並ぶようになる。全体を見回しても、日本人ライダーは09年にGP250で世界王者になった青山博一を最後に、ランキング3位以内を争う日本人ライダーが誕生していない。17年のMoto3クラスのランキングを見ても、上位5人の国籍は順に、スペイン、イタリア、スペイン、イタリア、スペインという状態だ。

 それだけに、来季からMotoGPに参戦する中上貴晶、さらには現在Moto3に参戦している日本人ライダーたちには頑張って、ロードレースの魅力を伝えられる存在になってもらいたいところ。日本の景気が浮上してきたなか、ポケバイを皮切りに国内レースを戦い、その先にMoto3やMoto2クラスに、才能ある若い日本人が登場していけば、再び日本人ライダーの活躍が増える可能性は十分にあるからだ。

トップライダーのすごさを物語るエピソード

 ちなみに、1990年代に世界で活躍した日本人ライダーがいかにすごかったかを、彼らの引退後に知るエピソードがある。

 今回、MotoGP日本が開催されるツインリンクもてぎでは、「DE耐!」という、基本的には4ストローク100cc以下のミニバイクでの7時間耐久レースを行っている。気軽に誰もが参加できることを重点にしたバイクファン向けのレースイベントだ(2017年は5月6〜7日開催)。初開催は03年なので既に14年もの歴史がある。じつはこの大会に、F1カメラマンを中心に作ったチームが参加し、そのメンバーに原田哲也や坂田和人らが加わって遊び感覚で出場したことがあるのだ。このチームを作ったカメラマンと、とあるグランプリ会場に向かうレンタカーのなかで、こんな会話をしたことがある。

「おまえ、バイクの限界って見たことあるか? あの時な、原田や坂田のタイムが見事なまでに1秒以内にそろっていたんだよ。しかも何周走ってもそのタイム。もちろん、おれ達はずっと遅いタイムだ。毎周のラップタイムもバラバラ。つまり、原田らが出したタイムはバイク性能の限界なんだよ。おれ達がどんなに頑張っても引き出せない、バイクの限界を原田や坂田は引き出して、タイムで見せてくれたんだよ。ありゃ、本当に驚いたぞ!」と言うもの。

 一緒に走ったF1カメラマンは、決して遅いライダーではない。カートやバイクに乗せても、正直、下手な下位カテゴリードライバーやライダーに匹敵する速さがある人物だ。そのカメラマンが、脱帽したのだから、やはり世界レベルのライダーはすごいのだ。

 原田哲也や加藤大治郎、ノリックに続く次世代日本人ライダーの登場を期待しつつ、今週末のMotoGPだけでなく、Moto2やMoto3を観るのも、また楽しいかもしれない。

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