オランダ国民にとって「忘れられない夏」 地元開催の女子ユーロを制し、ブーム到来
大会終了後は「国民的ヒロイン」
写真撮影に応じる大会MVPのマルテンス。優勝して彼女たちは「国民的ヒロイン」となった 【写真:ロイター/アフロ】
もう、オランダ人は女子代表選手のことをすべて知っている。クレバーなプレーの連続だったMFジャキー・フルーネン(フランクフルト)は「土地が安いから両親がベルギーに家を建てた」ということから二重国籍者である。以前、ベルギー協会から代表入りを誘われたが、FIFA(国際サッカー連盟)からそれが認められなかった。柔道家としても優れた才能を持ち、年代別大会で何度もオランダチャンピオンになっており、当時の指導者によれば五輪を狙えたという。
左SBのファン・エスは幼い頃、マルテンスとともに少年チームでサッカーをしていた。「相手チームに女の子と気付かれぬよう、髪の毛を短く切ってプレーしていた」ところ、PSVのスカウトがファン・エスを気に入り電話した。すると彼女の母親が「うちに息子はいません」と答えて、やっとファン・エスが女性であったことを知った。後にファン・エスはVVVの解散とともに、PSVに移籍することになる。2014年にはワールドカップ(W杯)カナダ大会予選の対ギリシャで足の骨を折る重傷を負い、今でも試合が終わるとドクターから「足の調子は大丈夫か?」と聞かれ、いつも「文句は言えない」と答えているという。その言葉の背景には、普通に歩けるようになっただけでもありがたいという気持ちがある。
マルテンスは移籍先のバルセロナで年俸20万ユーロ(約2600万円)をもらう。この金額はリオネル・メッシが3日間で稼ぐお金とそう変わらない――。彼女たちのそんなエピソードのエトセトラは、オランダ人ならスラスラ言えるようになっただろう。彼女たちはもう「国民的ヒロイン」なのだ。
忘れることのできない「思い出の夏」
オランダ女子代表は、忘れることのできない「思い出の夏」をくれた 【写真:ロイター/アフロ】
1年前、フランスで開かれた男子のユーロに、オランダ代表は参加できず、われわれ(オランダ人、そしてオランダに住むサッカーファン)は共通の夏の思い出をなくした。来年のロシアW杯だって、予選突破はかなり厳しい。そんなつらい日々の中、オランダ女子代表は、忘れることのできない「思い出の夏」を私たちにくれたのだ。このユトレヒトの運河パレードは、88年、マルコ・ファン・バステンやルート・フリットの活躍でユーロを制した後のアムステルダムの運河パレード同様、世代を超えてずっと語り続けられるのではないだろうか。
『フットボール・インターナショナル』誌のクリスチャーン・ルーシンク編集長は最新号でこう書いている。
「欧州のタイトルを獲ったということだけでなく、いかに結果を出したかということも素晴らしかった。攻撃サッカーという意欲を示し、プレーする喜びを表し、そして情熱があった。このことが400万人を越すオランダ人を決勝戦に惹きつけた。
私はもうじき40代後半にさしかかるが、ファンになってしまった。デンマークとの決勝戦、オランダは若き日の喜びとともにプレーしていた。おかしな反則はなく、激しいタックルがあった。ミスはあった。それは、ありがたいことだった。おかげでスペースが生まれ、オープンなゲームになった。私はそのことを楽しんだ。私ばかりでなく、何百万もの人たちとともに」
久しぶりの楽しい夏だった。