白鵬ついに金字塔、前人未到の1048勝 負けない大横綱が歩んだ16年
一人横綱の務め果たした2年半
朝青龍の引退により一人横綱となった白鵬。史上2位の63連勝を達成するなど、その強さは圧倒的なものだった 【スポーツナビ】
不可侵とされていた横綱双葉山の69連勝に並ぶ日もいよいよ“カウントダウン”に入った矢先の11月場所2日目、平幕の稀勢の里に寄り切られると「これが負けか」と吹っ飛ばされた土俵下で茫然自失。連勝記録は63でストップした。
それでも一人横綱の牙城は揺るぎなく、11年5月技量審査場所で朝青龍に並ぶ史上1位タイの7連覇を達成した。その間、角界は八百長騒動が勃発。さらに日本列島は東日本大震災に見舞われ、当時一人横綱の白鵬は被災地に赴き、復興祈願と地鎮めの土俵入りを行うという大役を果たした。
名実ともに角界の第一人者ではあるが、無用な張り手、かち上げとは似て非なる“肘打ち”、駄目押し、あるいは懸賞金をひったくるなど、土俵態度が荒れてきたのもこのころだ。
超ハイペースで大記録達成、無人の荒野へ…
日馬富士の横綱昇進以降は、やや勝率を落としている白鵬。しかし鶴竜、稀勢の里も加えた3横綱との対戦成績は、白鵬優位が不変であること示している 【スポーツナビ】
しかし、金字塔を打ち立てて以降、無敵を誇ってきた横綱にも“勤続疲労”が忍び寄ってきた。30歳を超えた15年9月場所は横綱に昇進して以来、初めての休場。16年5月場所は12度目となる全勝で37回目の優勝を果たすが、その後は2度の休場。皆勤場所も終盤前に優勝争いから脱落するなど、賜盃を手にしない期間が1年に及んだ。
「32回を超えてから目標を失った」とモチベーションが低下した時期もあったが、稀勢の里の横綱昇進で角界の第一人者のハートに再び火が灯った。全盛期のような絶対的な力強さこそ影を潜めたものの、相手の弱点を研究し尽し、手堅く“勝ちにいく相撲”で17年5月場所は1年ぶりの優勝を全勝で飾った。
そして、魁皇が持つ史上1位の通算1047勝の記録も、7月場所12日目に更新。超ハイペースで新記録を達成した背景には、四股や摺り足など日々の稽古では基礎運動に多くの時間を割き、徹底して下半身を強化してきたことと無関係ではないだろう。強靭な下半身は「ケガが少ない=休場が少ない」体質を生み、ひいては白星の量産につながっていった。さらに技と技を繋ぐ引き出しの多さは群を抜いており、加えて誰よりも勝利への執念がある。
まさに“鬼に金棒”の強さを誇り、優勝回数と通算勝ち星の両方で歴代単独トップに立った白鵬は、これからも無人の荒野を走り続ける。