白鵬ついに金字塔、前人未到の1048勝 負けない大横綱が歩んだ16年

荒井太郎

一人横綱の務め果たした2年半

朝青龍の引退により一人横綱となった白鵬。史上2位の63連勝を達成するなど、その強さは圧倒的なものだった 【スポーツナビ】

 朝青龍が2010年1月場所限りで引退すると、角界は白鵬の一人横綱時代へ。同場所14日目から始まった連勝は、圧倒的な強さをもって積み重なっていく。同年7月場所14日目で大鵬を抜いて昭和以降、史上単独3位となる46連勝。さらに翌9月場所7日目には千代の富士を抜いて単独2位に立つ54連勝をマーク。4場所連続全勝優勝も達成し、62連勝で九州に乗り込んだ。

 不可侵とされていた横綱双葉山の69連勝に並ぶ日もいよいよ“カウントダウン”に入った矢先の11月場所2日目、平幕の稀勢の里に寄り切られると「これが負けか」と吹っ飛ばされた土俵下で茫然自失。連勝記録は63でストップした。

 それでも一人横綱の牙城は揺るぎなく、11年5月技量審査場所で朝青龍に並ぶ史上1位タイの7連覇を達成した。その間、角界は八百長騒動が勃発。さらに日本列島は東日本大震災に見舞われ、当時一人横綱の白鵬は被災地に赴き、復興祈願と地鎮めの土俵入りを行うという大役を果たした。

 名実ともに角界の第一人者ではあるが、無用な張り手、かち上げとは似て非なる“肘打ち”、駄目押し、あるいは懸賞金をひったくるなど、土俵態度が荒れてきたのもこのころだ。

超ハイペースで大記録達成、無人の荒野へ…

日馬富士の横綱昇進以降は、やや勝率を落としている白鵬。しかし鶴竜、稀勢の里も加えた3横綱との対戦成績は、白鵬優位が不変であること示している 【スポーツナビ】

 12年9月場所後、日馬富士が横綱に推挙され、白鵬の一人横綱時代にピリオドが打たれた。さらに14年3月場所後には鶴竜も昇進。3横綱が番付に名を連ねたのは01年1月場所以来だが、白鵬の強さは依然として際立っており、驚異的なペースで優勝回数を重ねていく。14年11月場所で優勝回数が昭和の大横綱大鵬と並び、史上1位タイの32回となると、間髪入れずに翌15年1月場所で33回目の優勝。大記録はあっさりと更新された。

 しかし、金字塔を打ち立てて以降、無敵を誇ってきた横綱にも“勤続疲労”が忍び寄ってきた。30歳を超えた15年9月場所は横綱に昇進して以来、初めての休場。16年5月場所は12度目となる全勝で37回目の優勝を果たすが、その後は2度の休場。皆勤場所も終盤前に優勝争いから脱落するなど、賜盃を手にしない期間が1年に及んだ。

「32回を超えてから目標を失った」とモチベーションが低下した時期もあったが、稀勢の里の横綱昇進で角界の第一人者のハートに再び火が灯った。全盛期のような絶対的な力強さこそ影を潜めたものの、相手の弱点を研究し尽し、手堅く“勝ちにいく相撲”で17年5月場所は1年ぶりの優勝を全勝で飾った。

 そして、魁皇が持つ史上1位の通算1047勝の記録も、7月場所12日目に更新。超ハイペースで新記録を達成した背景には、四股や摺り足など日々の稽古では基礎運動に多くの時間を割き、徹底して下半身を強化してきたことと無関係ではないだろう。強靭な下半身は「ケガが少ない=休場が少ない」体質を生み、ひいては白星の量産につながっていった。さらに技と技を繋ぐ引き出しの多さは群を抜いており、加えて誰よりも勝利への執念がある。

 まさに“鬼に金棒”の強さを誇り、優勝回数と通算勝ち星の両方で歴代単独トップに立った白鵬は、これからも無人の荒野を走り続ける。

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著者プロフィール

1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業後、百貨店勤務を経てフリーライターに転身。相撲ジャーナリストとして専門誌に寄稿、連載。およびテレビ出演、コメント提供多数。著書に『歴史ポケットスポーツ新聞 相撲』『歴史ポケットスポーツ新聞 プロレス』『東京六大学野球史』『大相撲事件史』『大相撲あるある』など。『大相撲八百長批判を嗤う』では著者の玉木正之氏と対談。雑誌『相撲ファン』で監修を務める。

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