イチローの電撃トレードから5年 交換相手が振り返るその日の出来事
2012年7月にマリナーズからヤンキースにトレードされ、会見を行ったイチロー(右)とヤンキースのジラルディ監督 【写真:ロイター/アフロ】
「ずっと行ってみたいと思っていたんだ」
はっきりと地名は覚えていないようだが、「確か銀座」であるものを買った。本人いわく、「珍しいモノ」だそう。
「見てくれ。アメリカのブランドなのに、『MADE IN JAPAN』って書いてある」
ロッカーに無造作に置かれていたそれを拾い上げて自慢げに見せてくれたが、あれっ? それって日本のブランドなんですが……。
「なんだって! そうなの?」
そのシチズンの時計を手に目を丸くするファーカー。隣のロッカーでは、チェース・ウイットリーが苦笑い。「お前、知ってたのか?」。するとウイットリーは、声を上げて笑った。
久しく会っていなかったファーカーだが、天然キャラは相変わらずだった。
自身のトレードをテレビで知る
「いや誰も。オレ、日本で有名なのか?」
少なくとも、名前は知られている。
少し考え、やがてあることに思い当たったよう。「あぁ、そうか。オレがイチローとトレードされたからか?」
そのトレードから今年で5年。そう話を振るとファーカーは、「おっ、どっちが得をしたか、損をしたかってやつか?」と身を乗り出した。
「そうだな。一緒にトレードされたD.J.ミッチェルはもう野球をやめちゃったしなあ」
いや、そういうことでは……。
「じゃぁ、なんだ?」
あのとき――2012年7月23日午後(日本時間24日)にトレードが発表されたとき、まずはそれをどうやって知ったのかと聞くと、意外にも「テレビだよ」と即答した。
テレビ?
そのとき、横で聞いていたウイットリーが、「お前、テレビで知ったのか?」と割り込んできた。
「そうだよ」とファーカー。「お前も同じクラブハウスにいたじゃないか」。
当時、ファーカーとウイットリーは、ともにヤンキース傘下3Aスクラントンに所属し、遠征先のグウィネットというアトランタ郊外の街にいたという。この時、同じチームには、日本の福留孝介(現阪神)と五十嵐亮太(現福岡ソフトバンク)も所属しており、さらには後に北海道日本ハムと契約するブランドン・レアードもいた。
試合前にトランプをしていたら…
「あれは確か、夕方だったよな?」
シアトルでは午後3時頃だったから、米東部時間のジョージア州では午後6時過ぎになる。ロッカーの椅子に座ってソックスを履きながら、ファーカーは続けた。
「試合前、いつものようにトランプをしていたんだ。そしたら、『イチローがヤンキースにトレードされた』というニュースがクラブハウスのテレビに流れた」
スポーツニュースの速報かなにか?
「おそらく、『スポーツセンター』(スポーツ専門ケーブルテレビ局『ESPN』の看板番組)だったと思う。その時はでも、『へぇ、イチローがヤンキースにトレードされたんだ』くらいにしか思っていなかった」
まさか自分が交換要員とは?
「そう。相手が誰かなんて、特に気にしてなかった。で、そのままトランプを続けていたら、誰かが、『おい、相手はお前だぞ!』って教えてくれたんだ。画面の下に字幕みたいなのが流れていて、そこにオレとミッチェルの名前があったらしい」
そこで再び、ウイットリーが割って入る。
「お前、代理人か監督から、事前に伝えられていなかったのか?」
首を振ったファーカーは、シューズのひもを結びながら続けた。