1. FCケルン | カールスルーエに0:1で悔しい敗戦に

1.FCケルン
チーム・協会

【©︎1FCKoeln】

生まれた得点はオウンゴールのみ

3月2日、カーニバルシーズン最骨頂の中、1. FCケルンはカールスルーエとアウェーで対戦した。約3800人のケルンサポーターが駆けつける中、ケルンは2024年終了時の座である一位を再び奪還するためにこの一戦に挑んだ。

前半、両チームともに試合序盤から攻撃的な姿勢を見せた。

最初の決定機を迎えたのはダミオン・ダウンズ。ユスフ・ガジベゴビッチのパスをスルーし、そのままスプリントで相手を振り切った。しかし、フリーで迎えたシュートはKSCのGKマックス・ヴァイスに惜しくも阻まれた。

その後はケルンがボールを支配する時間が長かったものの、カールスルーエは速攻でチャンスを狙う形に。しかし、どちらのチームも決定的なシーンを作るには至らず、ミドルシュート中心の展開に。両者得点の生まれないままハーフタイムを迎えた。

後半開始早々、ケルンにとって厳しい展開に。53分、カールスルーエのクリストフ・コーバルトが右サイドを突破し、ゴール前へ鋭いクロスを送った。これをクリアしようとしたガジベゴビッチのボールがキャプテンのヒューバースに当たり、そのままゴールへ。痛恨のオウンゴールとなった。

失点後、ケルンは攻撃を強化するために4バックにシステム変更。しかし、最後まで決定的なチャンスを作ることができなかった。

試合終了間際には、カールスルーエのカウンターからファビアン・シュロイザーナーに決定機が訪れるも、マーヴィン・シュヴェーベが好セーブ。試合は0-1で終了し、悔しくもケルンは勝ち点を掴み取ることができなかった。

ケルンは次節、ウルムと再びアウェーで対戦する。1位との差はたったの勝ち点1。確実に勝利を手に入れ、残り10試合に挑んでいきたい。
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著者プロフィール

1.FCケルンは1948年に設立された、ドイツ西部の大都市ケルンに本拠地を置くサッカークラブで、ブンデスリーガに所属しています。1963年に発足したドイツ・ブンデスリーガの初代王者であり、日本人海外移籍の先駆者である奥寺康彦が所属していた頃には2度目のリーグ優勝を成し遂げました。また近年では、槙野智章や鄭大世、大迫勇也も所属していました。

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