転機となったMLBでの経験 吉井コーチの指導スタイル(1)

菊地慶剛

マウンドで大谷(右端)と話す吉井コーチ(左から2人目) 【写真は共同】

 2015年は福岡ソフトバンク、昨年は北海道日本ハムで日本一になった投手陣を指揮した吉井理人投手コーチ。昨年3月に筑波大大学院で修士課程を取得するなど積極的にコーチングの研究を重ね、現在はプロ野球界きっての理論派コーチとしての地位を築いている。そんな吉井コーチのコーチングスタイルを少しでも理解してもらえることを目的に、数回に渡って連載コラムとしてお届けする。第1回となる今回は、コーチングスタイルの礎となった吉井コーチの体験を紹介する。

近鉄、ヤクルトで活躍

 吉井コーチは1983年のドラフトで近鉄から2位指名を受け、箕島高から入団。87年に初勝利を手にすると、88年にはクローザーを任され10勝24セーブで最優秀救援投手のタイトルを獲得する。翌年も5勝20セーブを挙げ、チームのリーグ制覇に貢献した。93年からは先発に転向し、95年にヤクルトへ移籍。野村克也監督のもと、先発ローテーションの一角を担い、95年、97年にチームの日本一に貢献するなど3年連続二ケタ勝利を挙げた。

「実を言うと自分は現役時代から、コーチと解説者だけはやりたくないと思っていたんです。具体的に何かというのは思い出せないんですけど、まず(コーチと解説者は)結果でものを言うでしょ。あとは(自分の)経験とで……。それが選手のためになっていなくて、プレーの邪魔になっている感じが当時はしていて、『しょうもない仕事やな』と思いながら現役をやっていたんです。

 なので自分がコーチになった時は、現役引退後に野球に携わる仕事が他になかったので(笑)、とりあえずやってみようという感じで引き受けました。その時に『どうしよう?』と考えた訳なんです。自分が現役の時にコーチにしてもらって良かったことは何かと考えたら何も思い浮かばなくて、邪魔になることばかりやなと……。そこでまずは『(選手を)見ておこう』と決めました。そこからですかね、(現在のスタイルになった)取っ掛かりは。こちらから口を出すのではなくて、選手から何か言ってくるまでは見ていようと思いました」

新天地メッツへ移籍

 97年のオフにFA権を行使し、メジャーリーグのメッツと1年契約を結んだ。98年は29試合に先発し6勝をマークすると、翌99年には12勝を挙げる活躍を見せた。2000年はロッキーズ、01年、02年にはエクスポス(現ナショナルズ)でプレー。MLB通算では162試合に登板(118試合に先発)、32勝42敗、防御率4.62の成績を残した。

「(コーチになってから)後で気づいたことなんですが、アメリカでプレーしていた時の日記を読み返す機会があって、(メジャー1年目に)ボブ・アポダカ投手コーチがスプリングトレーニング中の2回目の投球の後だったと思いますが、寄ってきて『お前のピッチングのことはお前が一番良く知っているんだから、オレにいろいろ教えてくれ。それでやっていこう』と言われたんです。そんなことをコーチから言われたことがなくて、その日の日記に書いてあったんです。自分がコーチになった時のために、これはきちんと心のノートに書いておこうって……。日記を読み返して、改めてそういうスタイルでいった方がいいなと確認できました。たぶんアメリカの経験がなかったら思いつかなかったかもしれません」

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著者プロフィール

栃木県出身。某業界紙記者を経て1993年に米国へ移りフリーライター活動を開始。95年に野茂英雄氏がドジャース入りをしたことを契機に本格的にスポーツライターの道を歩む。これまでスポーツ紙や通信社の通信員を務め、MLBをはじめNFL、NBA、NHL、MLS、PGA、ウィンタースポーツ等様々な競技を取材する。フルマラソン完走3回の経験を持ち、時折アスリートの自主トレに参加しトレーニングに励む。モットーは「歌って走れるスポーツライター」。Twitter(http://twitter.com/joshkikuchi)も随時更新中。

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