転機となったMLBでの経験 吉井コーチの指導スタイル(1)
現役引退からコーチへ
1998年からはメジャーリーグに活躍の場を移した 【Getty Images】
「日本ハムで5年間コーチをやらせてもらったんですが、自分の中ではやっていることに半信半疑だったんです。うまくいく選手もいれば、うまくいかない人もいたので……。結果だけで(判断され)、なかなかコーチとしての評価はしてくれないじゃないですか。なので(日本ハムから)クビになった時も、何が悪かったのか教えてくれなかったんです。そういうのがあって、きちんとコーチングの技術やスキルを身につけたいと思っていたんです。ある程度“吉井流”のやり方は知っていても、他はわからないじゃないですか。選手との接し方や教え方もそうですし、野球というものをもう一度科学的、理論的に知りたいなと思い、大学(筑波大大学院)に行こうと考えました。
(最初の日本ハムでの5年間は)1軍選手のコンディショニングの作り方だとか、ブルペンの回し方とか、そういった戦略的な部分はある程度自信はあったんですけど、選手の技術をアップさせたり、選手の気持ちを強くさせたり、というのが全然やり方がわからなかったんです。自分が(現役時代に経験した)嫌だったことは絶対にやらないでおこうと決めていたので、身体のコンディションもそうだし、心のコンディションもうまく整えてあげられたとは思っています。ただ(投球)技術だったり、マウンド上で緊張しやすい選手がそれでもパフォーマンスをしっかり発揮できるようにするなど、そういうところをどうしていいかわからなかった。ただ、今でもそうなんですけど、(大学院で学んだとしても)結局は(選手が)自分で解決しないといけないんですけどね」
大学院入学から再びコーチへ
「(大学院で学んだことにより)選手の疑問に答える引き出しを増やすことができましたし、選手のパフォーマンスを見ていて、(技術的に)どこがどうなっているみたいな部分も見られるようになりました。それに対してどこをどうしたら、もっとこうなるだろうということも理解できるようになりました。それは動き方もそうですし、筋肉のどの部分を鍛えればどうなるだろうという面も含めてですね。
1軍の選手に関しては、これまで同様こちらから先に口を出すことはありません。でも本当に技術のない選手にはこちらから言うこともあります。ただ大学に行って感じたことなんですが、(選手の)レベルによってどの部分をコーチングしたらいいのかというのがあるんです。例えば技術に関してズバッと言うのか、それともヒントを与え自分で考えさせながらアドバイスするか、それともメンタルについて伝えるか、使い分けしなければいけないということがわかりました。(大学院在学中にコーチに就任した)ソフトバンクの時は自分の中で以前よりもうまくなったかなと感じられた1年でした。それでそのまま(踏襲して)日本ハムに戻ってきました。
ただ(コーチングスタイルは)基本的には変わっていません。コーチングの哲学が(大学院で)よりしっかりしたという感じですね。以前なら『何となくこうかな』みたいな感じでやっていて、特に信念はなかったんですが、今は『これがあってこうしよう』としっかり把握できています」
日米7球団を渡り歩きながら自分なりにコーチとしての理想像を築き上げ、そこにたどり着くために自分の経験、技術に頼ることなく大学院に通い真摯に野球を向き合ってきた吉井コーチ。今回はその一端を垣間見ることができた。次回以降は実際に吉井コーチが現場で実戦しているコーチングについて紹介していきたいと思う。
※次回は6月中旬に掲載予定です。